さまようBREXIT
飛び交うEUの金の星
ロンドンは秋から一気に冬が訪れようとしている。その中、英国の国会議事堂にあたるウェストミンスター宮殿の前には欧州連合(EU)の旗が舞い、残留支持者が第二の国民投票を求めてパーラメント・スクウェアを占拠している。冷たい雨が降っても、強風でも、金の星が舞う青いEU旗やそれをモチーフとした帽子をかぶった人々が消えることはない。
議会では連日、英国がEUを離脱するBREXITの在り方、EUとの合意内容、政府の用いる手法が憲法に沿っているかなど激しい議論が続く。その様子をBBCなど英国メディアが議会前から中継する。与野党の議員、欧州問題の専門家、エコノミスト、政治評論家などもマイクの前に立つが、しばしばその声はピープルズ・ヴォート(People’s Vote)と呼ばれる国民による決断、つまり国民投票を求める人々の声にかき消される。一段と声の大きい男性の姿かたちは知らずともその声はすっかりお茶の間のなじみになった。中継者の後ろでプラカードを掲げる常連もいる。
BREXITの苦悩
英国は2016年の国民投票でEU離脱を選択し、今年の3月にはそれが実現するはずであったが、英議会が離脱の在り方で一致できず、期限は10月31日に延長されていた。しかしこれもかなわず、直前になってEUから来年1月末までの猶予を与えられた。
BREXITの行き詰まりの大きな原因は、国民投票を実施したキャメロン政権(当時)が「離脱」を全く想定していなかったため、「離脱」とは何か、「離脱」がもたらす問題点は何かを明らかにしていなかったことである。3年間の議論は離脱を支持した政治家が掲げた理想と現実の差をさらした。
例えば関税同盟を離脱し、アメリカや日本と独自の自由貿易協定を結ぶという理想と、北アイルランドの和平合意を維持する条件は、関税同盟を離脱すると北アイルランドとアイルランド共和国間に国境を再設することになるため相いれない。現行案のようにアイルランド島と英国本土の間に関税の壁を造れば北アイルランドがアイルランドに併合される恐れがある。
英国がEUに加盟して40年以上たつ。その間に英国は、EU市場の一部となり、相互依存が成り立っている。例えば他のEU国に食料から薬まで依存しており、離脱すれば翌日から命にかかわる薬も不足するという不安が広がっている。製造業のサプライチェーンは著しく混乱し、製造、そしてEUへの輸出コストが高くなる。金融街シティーからはすでに一部金融業務がアイルランドやドイツに移転をはじめている。
BREXITも解散総選挙も再度の国民投票もかなわぬ政府
BREXITが実現するには議会の過半数(326)が離脱協定法案を承認しなければならない。しかし2017年の総選挙で過半数を失い、さらに政府のBREXIT案に反対した議員を追放するなどした結果、与党保守党の議席は現在288。北アイルランドの民主統一党(DUP)が保守党と閣外協力をしているが、DUPの議席はわずか10で、合計しても過半数にはいたらない。それどころか、DUPは政府のBREXIT案に何度も反対してきた。政府が強引に離脱協定法案を通すことはできない。
議会が停滞した場合、議院内閣制の首相には解散総選挙という手がある。ところが2011年に自由民主党と連立政権を組んだ保守党が議会任期固定法を制定したため、議員の2/3が賛同するか政府不信任が決議されない限り議会任期は5年と決まっている。解散するには野党の少なくとも一部の賛同が必要だが、野党第一党労働党は今総選挙があれば、多くの議席を失う恐れがあり選挙には簡単に賛同できない。10月28日現在で政府の選挙動議は三度否決された。
議会が離脱協定法案の内容を限りなく議論する間に、再度の国民投票を求める声は大きくなっている。10月19日にはBREXIT反対者100万人(主催発表)が再度の国民投票を求め議会に向かいデモを行った。2016年の国民投票時の離脱の実態への不透明さ、そして議会が結論を出せぬことから国民に決断をまかせるべきと考える人々である。しかし国民投票に必要な過半数の議員の賛同は確保できそうにない。
ジョンソン首相への不信感
こうした制度の限界と同時に、今年7月に首相に就任したボリス・ジョンソン氏の言動が議院内閣制を支えてきた不文律の合意や仕組み、そして政治家への信頼を大きく揺るがし、議会を完全に機能不全にしてしまった。
ジョンソン首相は長年ジャーナリズムで生計を立てた言葉の業師であるが、いい加減さでも知られてきた。「何が何でも期限までにBREXIT。実現しなければ死を選ぶ」を掲げて保守党党首に選ばれたが、EUとの合意がなりたたなくとも、あるいは英議会の承認がなくとも離脱を決行する「合意なき離脱」を実現するために5週間にわたり議会を閉会するという手段をとった。しかしこれを違憲とする市民が最高裁に訴え、閉会は合法的ではないという判断がくだった。
ジョンソン首相は2016年の国民投票時に離脱派議員の一人として事実と異なる離脱の恩恵を主張したことで知られていた。首相になった後は、閉会の真の理由を離脱とは無関係とごまかして強引に合理なき離脱を図ったことで、ジョンソン首相はBREXIT実施のためには何をするかわからないという不信感が自党議員の一部にも広まった。そこで議会は、議会が離脱案に賛同しない限りEUに離脱期限の延長を求める、さらには離脱協定法案が法制化するまでは離脱協定案承認を棚上げするという修正案を可決した。野党が総選挙動議を拒み続けるのも選挙前の議会閉会の時期を利用し、首相が合意なき離脱を決行するという不安が消せないという理由もある。議会がこれほど首相への不信をあらわにしたことはない。
予測できない展開
英国国民をはじめビジネスから金融界までみなBREXIT議論に嫌気がさしている。将来の不透明さを払しょくし、とにかく結論を出して欲しいと誰もが思っている。しかし結論がどうあるべきかにおいては、意見が一致しない。
政府は離脱協定法案を協議する前にまずは総選挙を求めている。しかし総選挙が安定した政府をもたらす可能性は低く、混迷が深まるだけかもしれない。結局は再び国民投票を実施するしかないかもしれない。離脱協定法案を一つの選択肢にするという案もでている。
しかし、北アイルランドの和平を維持するにはアイルランド共和国との国境再設置を防がなければならない。そのために北アイルランドだけが関税同盟に留まるのか。それによって北アイルランドがアイルランド共和国に併合される危険を冒すのか。英国全体が関税同盟に留まればEUから独立して自由貿易協定を結べるのか。EUから主権を取り戻したいという離脱派の希望を完全に満たせば、スコットランドを独立に追い込む可能性は高い。
ほとんどの英国人は歴史や国家思想的視点から英国は統合欧州の一部とは思っていなかった。しかし離脱のもたらす問題が明らかになり、議会が永遠に言い合いを続け、政府が強引に離脱を進めようとする間に、皮肉にも国民のEUへの親近感が大きな声となっている。
(2019年10月28日現在)
日本の金融機関に勤めた後、国際問題を学ぶためマサチューセッツ州のフレッチャー外交法律大学院へ。卒業後ワシントンとロンドンを行き来し、外交安全保障問題やNATOなど同盟関係に関し日本のメディアやシンクタンクに執筆している。