人生の走馬灯
寄稿依頼をいただいた時、がん体験を文字にして公表することは気が引けました。でもしばらく考えて、読む方のお役に立てる内容にできたらと思って、お受けすることにしました。がん体験は人それぞれで、場所や大きさが同じでも、原因や対処法、そして心身の健康状態や受けるサポートによって全く違った体験になります。
ふにゃふにゃしたシコリ
がんの発見に関して「大豆の粒の大きさで早期発見」という大昔に聞いたフレーズが頭にありました。2011年54才の春、胸部内側に柔らかいシコリをセルフチェックで見つけた時、脂肪のかたまりだと思いました。大豆みたいにコリコリしていないし、悪玉のイメージから程遠かったのです。直径7mmくらいの円形で薄く、上下の組織に密着していないので、指で触るとツルツルと動きました。念のためにワシントンDCにあるジョージタウン大学病院で細胞検査を受け、特に気にかけることもなく、結果を待たずに日本に一時帰国しました。
日本に滞在中、変な時間帯に電話が入りました。ケイタイの表示にDCの局番を見た瞬間イヤな予感がしました。その電話は病院からで、DCに戻ったらすぐに連絡をするようにとのことでした。「起こるはずがない、と思っていたことが起こったのだ」という確信がありました。テレビや映画の一こまを見ているような気持ちでした。
セルフチェックの大切さ
DCに戻ると、悪性腫瘍と知らされました。その年のマンモグラムの映像を見せてもらいましたが、乳腺が密なために画像がかすんでいてシコリを認識できなかったとのこと。でも私はマンモグラムの検査結果を「異常無し」と知らされていました。正確には「検査不可能」だったはずです。マンモグラムは何年も受けていたので、遡って結果を見たいと頼んだところ、すべて画像がかすんでいると言われました。毎年「異常無し」の結果を知らされていたことに怒りを感じましたが、それ以上何もできませんでした。
現在は、状況によりマンモグラムと超音波を使い分けていると聞きました。それぞれに利点と欠点があるようです。私は、定期検診と並行してセルフチェックを友人や家族に勧めています。セルフチェックにはコツがあるので、ネットなどで調べることをお勧めします。
体験者100%が死を意識
意に反して高所から落下すると、過去の人生が走馬灯のように見えると言います。宣告された病院から出た途端、「それってこういうことなんだ」と思いました。自分の人生の各所が鮮明に頭の中を廻って、まるでふるいにかけられたように、悔いや、やり残したこと、今すぐにすべきことが浮き彫りになって襲ってきました。私の場合は、感謝を伝えてない人、ちゃんと謝っていない相手、先延ばしにしていた諸事などがそれらでした。心を込めて行わなかったこともそうです。
五日間でそれらをやり遂げました。リストを作らなくても一つ一つこなしながら心に問いかけると、次にやるべきことが分かりました。五日でこんなに整理ができるなら、何でもっと早くやらなかったんだろうと思いましたが、意思と行動があれほど直結した経験は、10年経った今でもその時だけです。
家族にどのように伝えよう?
主人には比較的直球で話せたのに、大学生の娘二人にはどう話そうかと迷いました。一人でブレーンストーミングをして、シミュレーションを繰り返すことは私に合っていました。話している自分を想像すると、正直でない言葉には感情がついて来ないことが分かるので、話の順序や言葉もしっくり来るまで探りました。
その時娘たちは、二人ともヨーロッパでインターンと留学をしていました。私の場合、手術後の経過に関する見解が深刻でなかったこともあり、手術に合わせて帰国する必要は無いと伝えました。手術後の経過、がんの進行具合やリンパ節への転移の有無がわかった時点で、必要であれば帰国してもらえばいいと思いました。私は直感を信じるタイプなので、それでいいと思いました。
娘たちは友人に話すであろうし、家族から励ましや慰めのメッセージが届くであろうと思って、二人にお願いしたことがあります。最後の言葉を、前向きに締めくくって欲しいと言うことでした。例えば「ママは前向きだし、強いから大丈夫だと思う。でも祈っててね」と締めくくると、同じ言葉が人から人に廻ると思ったからです。「大変そう、かわいそう」というイメージでなく、良いエネルギーが廻るような気がしました。これはうまく行きました。娘と話した人たちから「二人ともママが大丈夫って信じてるよ。二人が前向きで安心した」と言う言葉がめぐり戻ってきて、私はそれを聞いて安心しました。
手術の前日
手術はアメリカ独立記念日の翌日、7月5日の早朝に決まりました。さて、独立記念日をどうやって過ごそうか、主人と相談して例年通りに過ごすことにしました。ポトマック川とDCのモニュメントが見渡せる15階に住んでいたので、家族と友人と一緒に花火の観賞が年行事の一つでした。その年はごく身近な友人にだけに声をかけ、ワイワイ笑って過ごし、みんなを見送って、絶食モードに切り替えて、目覚ましをかけて床に着きました。
前日に友人とワイワイガヤガヤは大成功でした。当日、ベッドに横たわって目を閉じた途端、大きな花火の連発が見えて、夢うつつにワイワイガヤガヤの声を聞きながら麻酔に落ちました。怖くありませんでした。
今すること
昨年7月に手術後10年を迎えて、それまで服用してきた飲み薬に別れを告げました。大病は人生観を変えると聞きますが、私にとっては、それは短い間だけで元に戻ってしまったと思います。心がけは、目の前にあることと人に感謝して、お詫びはすぐに伝えること。執着を持たない。出来ることは気持ちを込めてすること。前と同じ走馬灯を見なくていいように。世間で言われる当たり前なことばかりです。
そして、病気だけでなく最悪のことが突然起こった時に備えて、書類とパスワードの整理を常にしておくことが心の平和(peaceful mindのことです)をもたらしてくれることも学びました。
ワシントン在住。日米のかけ橋となる仕事、ボランティアに関わっている。趣味は芸術鑑賞。