コロナ・ロックダウンにおけるアートとアーティストたち
ロックダウン(都市封鎖)された街のアパートの窓から住人たちが合唱したり、イタリアのコーラス・メンバーたちが自宅から第二の国歌ともいえる「金色の翼に乗って」(ヴェルディのオペラ『ナブッコ』より)を歌うビデオをご覧になったことがあるかも知れない。
アメリカでのCOVID-19による感染者は100万人、死者は6万人(4月29日現在)を超えた。これは、ほぼ10年続いたベトナム戦争の米兵戦死者より多い衝撃的な数字だ。ワシントンDCでは3月20日からソーシャル・ディスタンシング令が出て、50人以上の集まりが禁じられ、4月1日からは外出禁止となった。これは5月15日まで続くことになっているが、恐らく再び延長されると思われる。4月29日現在で感染者4,323人、死者は224人に達したが、6月がピークとも言われているからだ。感染者数と死者数が全米トップになってしまったニューヨーク州でもロックダウンは続いている。
新型コロナウイルスという、私達がその対応に試行錯誤し、死者・感染者数が増え続ける危機の中でのんきにアートの話などと思われる方もいらっしゃるかも知れない。もちろん、前線で闘っている医療関係者などの大変さは想像を絶する。でも、アートが存在しない生活を想像してみていただきたい。ソルジェニーツインは流刑にされた強制収容所で『収容所群島』を執筆し、ホロコーストなど極限状態に置かれた人たちも音楽や演劇などを楽しみ、心の拠所としてきたのだ。このロックダウンで私達の心を和ませてくれるのは読書、音楽やバーチャル美術館だったり、映画、オペラやバレエのストリーミングではないだろうか。生のパフォーマンスに接することができない現在、コンサート、お芝居、オペラやバレエのストリーミングはセカンドベストチョイスだ。
閉鎖された劇場や美術館
NYのリンカーン・センターやカーネギー・ホールなどは秋まで活動休止となってしまった。
大人数が集まる活動が禁止されたため、ワシントンDCでもケネディー・センターを始めとする各劇場は閉鎖し、スポーツ観戦も中止になっている。私自身、チケットを買って楽しみにしていた春のパフォーマンスが次々とキャンセルになり、続いて入ってくる夏のフェスティバル中止のニュースに落胆する日々が続いている。でも、少しでも支援できるように、チケットの払い戻しは求めないことにしている。
3月27日に成立した連邦政府の2兆ドルの経済支援策The Coronavirus Aid, Relief, and Economic Security (CARES) Actには、 ケネディー・センターに対して2,500万ドルの追加支援が含まれた。一部の議員はこれをエリート向けの娯楽の支援だと攻撃した。しかし、同センターはあらゆる層の市民に楽しみを与え、教育の場ともなっている。国家文化施設法で設立されており、政府から年間予算を得ているが、全予算の80%はチケット売上げと寄付で運営されている。同センターは3月末にスタッフ60%を一時解雇し、所属するナショナル・シンフォニー・オーケストラの給与は35%カットした。同じく同センター所属のワシントン・ナショナル・オペラ(WNO)も同様に一時解雇などで対応している。
全米最大のパフォーマンス組織であるマンハッタンのメトロポリタン・オペラ(以下MET)は3月半ば、5月9日までの2019-2020シーズンをキャンセルし、5,000~6,000万ドルの損害を見込んでいる。オーケストラ、コーラスを始め、制作関係者は3月末で一時解雇となり、給与はもらえない。幸いなのは健康保険は提供されていることだ。ソリストの歌手たちはキャンセルした公演について報酬はもらえない。これはAmerican Guild of Musical Artists (AGMA)というソリスト、コーラス・メンバー、監督などの労組メンバーとオペラ・カンパニー側との契約の雛形に「不可抗力条項」があり、劇場側は今回のような非常事態下の上演中止に対して支払い義務がないためだ。
一部、ロシアのボリショイ劇場など「カンパニー制」の歌劇団に所属している場合は別だが、多くのソリストたちはあくまでもパフォーマンスをすることでギャラをもらえる 「フリーランス」 である。そのため、世界的に活躍している歌手たちでさえ、今回生まれて初めて失業保険を申請したという。歌唱発音などのコーチをつけて役作り準備をしてきた公演がキャンセルになっても、投資分は回収できない。将来、比較的すぐに同じ役を演ずるチャンスがやってくればその投資も役立つが、年をとれば声も容姿も変わってしまうから、その役がもらえるか定かでない。大変なのはアスリート同様のバレエ・ダンサーたちだろう。自宅で基本練習はできても、専用の床が整った広い練習場なしに高く跳躍するグランジュテなど不可能だ。
パフォーマンス組織に比べ、美術館は寄付資産が比較的豊かである。それでもニューヨーク市のメトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館等々、閉鎖によって多額の収入減が見込まれたため、職員を一時解雇している。これは他の都市の美術館なども同様だ。
アーティスト支援
その中で、例えばオペラ歌手たちは自宅からフェイスブックやユーチューブを通じて、発信し始めた。中には将来、監督になる才能があると思われる大変にクリエイティブな映像を提供している歌手たちもいる。例えば、METで活躍するオペラ歌手たちによるタップダンス。また、ある音楽事務所は所属歌手たちが自宅から歌うコンサートを提供した。それらは例えば、オペラ歌手やピアノ伴奏者などを支援する新組織Artist Relief Treeの資金集めを助けるための活動だ。
逆にオペラハウス側が病院で働く人たちを支援する活動も見られた。WNOなどの衣装部のスタッフがマスクを縫い、地元の各病院に寄付したのだ。
全米各地の各劇団が寄付を呼びかけ、それぞれの地域での俳優支援のための基金もできている。 またアンドリュー・メロン財団がシードマネーを500万ドル出資し、フォード財団など数々の財団や個人の寄付で作られたArtist Relief(上記とは別組織)は、幅広い分野のフリー・アーティストたちに5,000ドルのグラントを供与する。何回かのサイクルでグラント対象者を選ぶが、最初の2 週間で200人分のグラントに5万人以上が応募した。同組織のアンケートに回答したアーティスト11,000人のうち95%がコロナが原因で収入源を失ったと回答している。そして半数以上に貯金がなく、80%が自活能力を取り戻す術がないとのことだ。
現在、ストリーミングなどは誰でも無料でアクセスできるものが多い。METは4月25日、4時間にわたり全世界に散らばっている歌手たちをスカイプで次々につないで、ガラ・コンサートを行った。160カ国以上から100万人が観たという。同ガラでオーケストラ・メンバーとメゾソプラノのジョイス・ディドナートは、コロナに倒れたバイオリン奏者を追悼する心をうつパフォーマンスを披露した。
早く生のパフォーマンスを楽しんだり、美術館に行くことができるようになる日が待ち遠しい。アーティストたちも生の観客の反応を全身で感じながら、最高の演技を舞台で披露する日をいかに熱望していることか。が、その日まで私はオンラインで楽しませてくれているアーティストたちに感謝と応援の気持ちを込めて、微力ながらチャンスがあるたびに寄付を続けていきたい。(4月30日入稿)
東京出身。88年より米ワシントンDC在住。ソニー本社国際通商業務室、法務部に勤務後、1990年、米ジョージタウン大学外交学部で国際関係修士号取得。公共政策専門チャンネルC-SPANの 日本向け番組制作を経て、現在、ワシントン在住のジャーナリストとして活動中。著書に『オバマ政治を採点する』(第二部インターネット・フリーダム)(日本評論社、2010年10月)、『Xavier’s Legacies: Catholicism in Modern Japanese Culture, Chapter 5 Kanayama Masahide: Catholicism and Mid-Twentieth-Century Japanese Diplomacy』(University of British Columbia Press、2011年3月)、『メトロポリタン・オペラのすべて』(音楽之友社、2011年6月)がある。