メリーランドでの4年間の研究生活
憧れの研究室
私は2018年9月からの4年間、メリーランド州の大学で研究を行っていました。隕石や地球の岩石を化学分析して、その組成から太陽系や地球の歴史を調べる宇宙地球化学という分野を専門にしています。在籍していたメリーランドの研究室はこの分野で長年世界のトップを走る研究グループの一つです。私が学部4年生の時、初めて読んだ研究論文もこのグループの論文で、いわば長年の憧れの研究室でした。日本の大学で博士号を取得後、次の研究先としてこの研究室への所属が決まった時は、こんな未来が自分にあったのかと思うほどうれしい気持ちでした。
研究生活は、それまでとは研究テーマが大きく変わり、はじめは大変でしたが周りの人に丁寧に教えてもらい一つ一つ習得していきました。研究室のメンバーは皆、経験・知識ともに豊富で、そんな環境にいられる安心感もありましたが、
それより、この頼りになる同僚たちから早く頼りにされて自分もグループの一員だと自分で納得できるような状態になりたいという気持ちが強くありました。ですので、初めて研究室の大学院生に分析装置について質問をされた時は驚き、同時に頼りにしてくれたことがとてもうれしかったのを今でも覚えています。徐々に研究に関しての質問や相談を受けることが増え、国や言葉が違う環境にいる分、自分が信頼している人達から信頼を返してもらう過程を肌で感じられたのは貴重な経験でした。
パンデミックとBLM(Black Lives Matter運動)
2020年3月は重要な研究結果が出たので、急いで追加実験と論文執筆の準備をし始めた頃でした。初めは日本でのクルーズ船集団感染のニュースを対岸の火事のように感じていたのが、段々と近隣地域での感染者発生のニュースが増え、これからどうなるのだろうね、と話しながら次の日に行う実験の準備をしていたその日に、緊急事態宣言と翌日から大学閉鎖との連絡がありました。
実験準備をした状態のまま大学が閉鎖になってしまったので、その週末に実験道具を片付けにラボに行くと、同じように片付けに来た同僚と遭遇しました。「お互い、今度いつ会えるかはわからないけど元気でね」と、突然降って湧いてきたルールである「社会的距離」6フィートを保ちながら言葉を交わして別れましたが、当時はその後5か月間もラボのメンバーと対面できなくなるとは思ってもいませんでした。ほんの数日前まで、論文完成までに必要な実験計画がびっしりだったのに、実験計画どころかいつの間にか誰も何も予想できない状況にいることに戸惑いました。
穏やかだった街並みも、感染拡大とともに雰囲気が悪くなり、アジア人ヘイト注意のメールが大学から届くようになっていました。週に1度、人が少ない月曜早朝に近所のスーパーに買い物に行く前は、玄関で「もし外で誰かに何か言われても、それで自分の価値が落ちることではないから大丈夫」と自分に言ってから外出していました。が、そもそも景観が荒れたということもなく、往復含めて遭遇する人間も車もほんの数人(台)という状態で、ただただ静かな街から感じる雰囲気の悪化というのはなんだったのか、今言葉で表すのは難しいです。
パンデミックの中、ジョージ・フロイドさんの事件をきっかけに全米で抗議運動が起きた時、所属するGeology学科からこの件に関してオンラインミーティングを開催するとの連絡がありました。この大きすぎる社会問題に対して学科メンバーで具体的に何を話し合うのか全く見当がつかないまま、私はミーティングに参加したのですが、このような「そうは言っても他の国の問題」という他人事のような気持ちは、ミーティング開始直後吹き飛ばされました。人種や学生、スタッフ関係なく、涙ながらに怒りをあらわにしながらの意見や感想を聞いて、各自が自分の事として問題に向き合っているのが分かったからです。
同時に、50名ほどの参加者が1人ずつ自分の気持ちや考えを述べている中、焦りも感じていました。自分も発言すべきなのか・・・。そんな中、一人の学生が涙と怒りの中「どうしてアジア人のあなた達は黙っているのか?黙っていることは何の助けにもならない」と発言しました。その時は、急に矢が自分の心臓に当たったかのように感じました。当時、学科には6名ほどアジア人がいましたが、それを受けて発言する人もいれば、しない人もいました。私は後者でした。ミーティング自体に非常に緊迫感があり、自分の気持ちを英語で誤解なく正確に伝えられるのかという不安もありましたが、そもそも自分がこの場で伝えたいことが何なのかがわからなかったからです。
この件は4年間のアメリカ生活の中でも非常に衝撃的な出来事でした。それ以降、日々の生活から世界情勢まで様々な問題が起こると、いつもあの時の言葉が自分の内面に投げかけられます。時に、声をあげる事は自分にとって難しく、その度に自分の弱さと向き合うような気持になりますが、少しでも納得のいく状況を作るのは一人ひとり、つまり自分自身だと心に銘じるようにしています。
一人ひとりがグループ(社会、地域コミュニティ、研究室など)の一員としてよりよい環境を作るために行動する、というのはパンデミック以前からアメリカ生活で感じていたことで、それは、アメリカ人は個人主義が多いという渡米前の表層的なイメージとは逆で意外なことでした。例えば、スーパーで買い物を終えて、少し離れた別のお店にいた時に、「さっきあちらのスーパーにいましたよね?レジで財布の置き忘れがあったけど、あなたの財布は大丈夫?」とごく自然に声を掛けられたことがありました。小さな可能性だとしても知らない人に声を掛けるなんてと本当に驚き、このような行動がこの人にとっての(大げさかもしれませんが)正義なのだと実感しました。似た経験は研究生活でもあり、当事者性をもって社会と関わる所がこの国の大きな魅力になっているのだと思いました。
最後に
渡米前は、アメリカに旅行や学会で何回も来たこともあったので、研究ではたくさんの新しい物事が待っているだろうけど、生活面ではそれほどでもないだろうとあまり期待はしていませんでした。ですが、実際のアメリカ生活は新鮮な驚きが常にあり、短期滞在では感じることができなかった彩り豊かな日常がありました。1年、2年、3年と時間が過ぎるにつれ、この行事が楽しみ、ここの木がきれいな花を咲かせる、この野菜がおいしい、といった季節ごとの楽しみが増え、それ自体がアメリカ生活に馴染んできている証のように感じられて、新しい季節の訪れはいつも楽しい気持ちになっていました。
コロナ禍やBLM等、日本からのニュースとアメリカの現状の間で感じるストレスも多く、こんなに広い国に来たにも関わらず、自分が日々会話するのはラボの10人程度、感染予防で遠出を控える期間が長かったので行動範囲も大変狭く、ほんの小さい世界しか見ていません。ですが、それでも自分にとっては新しく深く濃い経験ができた4年間でした。
宇宙地球化学を専門に研究。現在は日本に帰国しており、最近は電車に乗る時間が増えたので本をよく読んでいます。帰国して周りの人にアメリカの食べ物がおいしかった、と話すと皆不思議そうな顔をします。ベイキングの材料は手に入れやすく、オートミールやkale、Jicama(根菜の一種)といった野菜、TostitosのHint of lime味(トルティーヤチップス)などが好きだったのですが説明してもなかなか伝わらず、もどかしく感じています。