食と医療で幸せに向かう人生を応援します

生い立ち

私の母が姉を出産する時に医学的なトラブルがあり、姉は残念ながら亡くなりました。母はしばらく毎日泣いて暮らしていたと父から聞いています。ですから、母が私を身籠った時には殊更母自身の健康を大切に、胎児のために良いことを取り入れて出産の日を迎えたそうです。私はこの世に2人分の祝福をされて生を受け、両親のありったけの愛情を注がれて幼少期を過ごしました。

幼少期:1歳ごろ、母と

幼少期:1歳ごろ、母と



母は出産時のトラウマから、医療不信になりました。できるだけ医者にかかりたくないという思いから予防医学を勉強し、家族が病気にならないよう食事や生活習慣に気を遣ってくれました。おかげで私はあまり医療と関わらずに育ちました。本が好きで「赤毛のアン」が愛読書。アンのように空想にふけるのも大好きでした。

宇宙への憧れから人体の神秘へ

小学校4年生のときテレビでカールセーガン博士のCOSMOSを見て私の心は宇宙のとりこになりました。宇宙へ憧れ、大きくなったら宇宙飛行士になって宇宙で仕事をするのが人生の目標となりました。

東京の大学へ行くため、自宅から通える最も難易度の高い中高一貫の進学校に入学。気持ちはひたすら宇宙飛行士を目指していました。中学生の時スペースシャトルの痛ましい事故があり、当時興味を持ち始めた生命の神秘への関心が人体に向かうようになり大学は医学部を選びました。母は具合が悪くても病院に行きたがらないので、それなら私が母の主治医になろうと思いました。

しかし、宇宙への情熱は心の中で燃え続けていました。向井千秋さんが外科医から宇宙飛行士に転身されましたので、私にも機会があればまた宇宙を目指そうともくろんでいました。

憧れだった宇宙飛行士

憧れだった宇宙飛行士

宇宙飛行士を目指して医学部へ

大学には全国津々浦々の出身者がたくさん。生粋の広島県人にとっては様々なカルチャーショックの連続で、6年間は恩師や先輩、同期生、後輩との大切な出会いが凝縮された玉手箱のような時間でした。人体をミクロ、マクロの視点から勉強するうち人体は小宇宙だと実感しました。

宇宙の中で生かされている人間は自身を構成する細胞のたった1つも人工的に作ることができません。どの細胞も決して争わず、自分の使命を精一杯果たし、絶妙なハーモニーのなかで協調して生命体を維持しています。それは地球のそして宇宙の縮図のようでもあります。

私たちはどこからやってきたのか?いったいどうやってこの巧妙な生命の仕組みがもたらされたのか?生命の神秘、サムシンググレイトの采配に畏敬の念を抱かずにはおられません。これが私にとっての医学部での最大の学びです。

人生3つの坂:上り坂、下り坂、まさかの臨死体験

卒後2年目で結婚。研修医勤務は過酷を極めていて、書面上は週休2日制でしたが、実際は土日に休めたことは一度もなく、夜間・休日の呼び出し勤務は「志」扱いで無給でした。日勤後、夜間帯に一睡もせず「志」勤務をし、翌日の診療を行うことは当たり前で、連続36時間勤務は週に2-3回。今振り返るとよくやっていたなと思います。

その後、長女・次女を出産し大学院に進学。子育てをしながら研究、大学病院の外来や病棟業務をかかえ毎日が自転車操業。無理なら辞めればと言いながらも、気負いがあったのか、勤務中に倒れて救急搬送され、臨死体験。三途の河の岸辺を今でもよく記憶しています。この時、誰かの声が聴こえました――「これから何をなすのか?」と。「2人の娘をしっかり育てること、恩に感謝し恩返しすること、世の役に立つ人間に成長すること」を約束し、この世に戻ってまいりました。一体誰だったのでしょうか?神さま?(笑)その後手術や長期絶食などの患者体験を経て、人生観が大きく変わりました。

臨死体験で見えた不思議な光

臨死体験で見えた不思議な光

声と約束をしたときに見えた景色のイメージ

声と約束をしたときに見えた景色のイメージ

その後は常勤の病棟勤務は諦め、糖尿病専門医として糖尿病外来や人間ドック、産休病休代診などパートタイムの非常勤の仕事を細々と続けました。後輩に先を越され心穏やかではありませんでしたが、子育ての時間を大事にできたことに感謝しています。2014(平成26)年8月6日の広島平和記念式典で娘が小学生代表として、平和への誓いを読み上げる姿を目近で見たときは感慨深いものがありました。

臨死体験2か月前の家族旅行

臨死体験2か月前の家族旅行


仕事と子育ての両立は奮闘しました。当時は家事・子育ては妻の役割だと思い込んでおり、ワンオペ育児、というよりほぼ母子家庭でした。子どもにアトピー性皮膚炎があったのですが、食事さえ気を付ければ症状が軽くなるタイプでした。離乳食から食事は添加物を極力控え、食材を吟味してすべて手作り。成長とともにスーパーの総菜を食べることができるようになりましたが、食事の支度には相当時間を費やしました。

子育てと仕事の両立は、実際、楽とは言えません。常に、どちらも中途半端なのではないかというジレンマとの戦いでした。時間を有効に活用するため、時短でできる栄養バランスのとれた料理はレシピ集ができるくらい編み出しました。子どもに幼いころから料理・お片付けを含めた家事のお手伝いを遊び感覚で学ばせたことは、自分のためにも子どもの自立にも役立ちました。

内科で、おもに糖尿病の診療をしていますが、子育てを通してたくさんのことを経験でき、いろいろな人と出会うこともでき、それまで以上に患者さんの話が理解できるようになったと感じています。より忍耐強くなりましたし、医師として話を聞くことに加え、女性として共感しあうことができるようになり、私の医師人生にとって、大きな自信になったと思っています。

この時期に念願の宇宙飛行士選抜試験に挑戦しましたが、アサインされませんでした。宇宙飛行士という目標までの通過点として続けていた医師の仕事を続ける気持ちが萎えてきました。ちょうどそのころ娘が通っていた学習塾がコーチングを取り入れており、先生たちは生徒のモチベーションを引き上げて、勉強するように導くのが上手でした。その成果に感銘して、私自身もコーチングを学び始めました。仕事に対するモチベーションの落ちた自分にもコーチングは効果的で、子育てにも役立ちました。コーチングを糖尿病診療にも応用すると思わぬ効果があがり、仕事を続けていく希望が見えてきました。

セレンディピティ、シンクロニシティ

パートの内科医として勤務を続けていた私に、ある日内科クリニックを継承しないか?というチャンスが突然巡ってきました。開業には多額の資金と多くの患者さんから慕われるカリスマ性が大重要です。継承して患者さんが激減したらどうしよう、固定費を支払い続けるプレッシャーに耐えられるのか、人材育成はうまくいくだろうか?私にこんな大役が務まるのか、しばらく悩みましたが、一度命を失いかけた人生ですから、怖いものはありません。医学を志した私の原点は、母が診療を受けたいと思うような、患者さんの心の痛みがわかる医師になりたいという気持ちでしたので、やってみようと思いました。ロゴマークに幸福のシンボルである四つ葉のクローバーをデザインし、それぞれの葉に、希望(Hope)、幸福(Happiness)に向かう健康づくり(Healthcare)を心を込めて(Heartful)お手伝いしたい、という思いを込めました。

2015(平成27)年広島市南区で「みなみ内科ライフケアクリニック」を開業し、患者さんに寄り添いともに歩む、人生が豊かになる医療の提供を理念に掲げています。コーチングを主体とした生活習慣病ケアで、患者さんもスタッフも楽しく治療に取り組んでいます。

開業したことで、これまで他人事だった、雇用管理、経理、諸手続き、施設備品管理に翻弄されていますが、患者さんや家族、親友に支えられ頑張っています。クリニック経営の傍ら「おかあさん寺子屋」を立ち上げる準備も始めています。お母さんをサポートすることで一家の健康と笑顔を支えて頂く一助となればと考えています。

12階建てのビルの最上階にあるクリニック

12階建てのビルの最上階にあるクリニック

私見ですが、病気には3つのタイプがあると思っています。1)寿命の病気:これはどんな名医を持っても治療できない特徴があります。2)身から出た錆の病気:いわゆる生活習慣病と呼ばれるもので、日々の食習慣・ストレス・運動習慣などによる、セルフケア不足による疾患で、本来は予防が可能です。3)学びのための病気:自分の思い癖や生き方を変えるきっかけになる病気。学びのための病気に関しては、宇宙やご先祖様からのありがたいメッセージではないかと感じることがあります。診察の途中に、どこからともなく言葉がおりてくるんです。とても不思議で仕方ないのですが、三途の河を渡る手前で聴いた声と同じだと思います。

これまでは目に見えるもの、エビデンスのあるものにしか信頼を寄せてきませんでしたが、「見えないけれどもある大切なもの」に最近はとても興味を持っています。私たちが知っている現象は宇宙の中ではほん一部です。空間には目に見えないエネルギーが満ちていると思うとわくわくします。これからは量子力学が、オカルトと言われがちなセレンディピティやシンクロニシティ、テレパシー、サイキックエネルギーなどを説明してくれるように予感していて、とても楽しみです。

これからは恩送り・恩返し

子育てをしながら、医師としての仕事を続けていくことは、一人ではできません。いろいろな制限がある中での仕事を、上手くコーディネートしてくれる理解ある上司と、サポートしてくれる同僚、後輩たちに恵まれたことが、今の私へ導いてくれたと思っています。

自分さえ必死に努力すれば何とかなると思っていた若い頃もありました。でもそれだけではどうしようもできないこともあるのです。努力をすることは無理をすることではない。自分のできることを見極め、それを最大限に発揮できることが、自分のためだけではなく、自分を支えてくれている人たちへの恩返しになります。

病院の医師を取り巻く過酷な労働環境はさらに悪化、学会発表や論文作成まで強制されるようになって、うつ状態に追い込まれ命を絶つ先生が後を絶ちません。そんな訃報を耳にするたびに、命を産み大変な思いをして子供を育てていく母親の立場から、心が張り裂けそうになります。

お陰様でクリニック経営も良好で、恩返し・恩送りをできる年代になりました。これからは今まで誰も手を付けてこなかった医療者のリトリート、ライフケア、ライフサポートを提供する活動を始めていきます。「誰かの役に立ちたいと頑張っている人が、本当は一番助けを必要としています」--。私の尊敬する小澤竹俊先生の言葉です。

何はともあれ、元気な体あっての仕事です。皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。


    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です