訪れてわかるトルコの魅力〜イスタンブール

約10年前まで私にとってトルコといえば歌や歴史の教科書でしか知らない遠い国だった。ところが、2014年、長女が米国の大学を卒業後、トルコのイスタンブールに渡り教員となり、その後、一旦英国の大学院へ通うも、トルコ人のボーイフレンドにプロポーズされ2017年に結婚(拙文「オリーブの木」に託す希望〜マルマラ海地方で娘の「手作り」結婚式)。大学院卒業と同時にまたトルコ暮らしを始めた。そんな訳で、トルコがぐっと身近な国になり、これまでに計8回トルコを訪れた。訪問するたびに魅了され、また行ってみたくなる。その魅力について、今回はイスタンブールで訪れた名所や出会った人たちとの思い出をいくつかご紹介しながら綴ってみたい。

アヤソフィア〜五感で感じる壮大な歴史

壮大な薄ピンク色のアヤソフィアの外観

壮大な薄ピンク色のアヤソフィアの外観

最近、トルコと聞くと、耳元に響きわたってくる音がある。13世紀にハギア・ソフィア大聖堂内で披露されたであろう合唱と音響を再現した、スタンフォード大学の二人の教授とカペラ・ロマナ合唱団の共同プロジェクトについて、ニュースとレクチャーでその音源を聴いたことがあるからだ(注1)。その「ハギアソフィア」(ギリシャ語)は、537年、東ローマ帝国キリスト教(東方正教会)大聖堂として建造され、トルコ語では「アヤソフィア」と称し、その当時、世界最大で壮大な宗教建築物だった(注2)。13世紀にはローマ・カトリック教会となった時期もあり、1453年オスマン帝国がコンスタンチノープルを制覇してからは、イスラム教モスクとして改修、無数のイスラム教徒が礼拝に訪れた。そして、1935年、トルコ共和国建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクの世俗化改革の一環として、宗教色の中立的な博物館として生まれ変わり、ユネスコ世界遺産としても登録された。が、2020年コロナ禍の真最中、国内外の識者の反対を押し切り、エルドワン現大統領はイスラム原理主義者の主張に押され、自身の政治的思惑とも重なり、アヤソフィアをイスラム教礼拝所に転換することを裁判所を通して断行した(注3)。

サウス・ギャラリー扉上の壁画:ローマ皇帝コンスタンティヌスがコンスタンチノープル街の模型を手に(右)、皇帝ユスティニアヌスがハギア・ソフィア大聖堂の模型を手に(左)、イエスとマリアに捧げる壁画

サウス・ギャラリー扉上の壁画:ローマ皇帝コンスタンティヌスがコンスタンチノープル街の模型を手に(右)、皇帝ユスティニアヌスがハギア・ソフィア大聖堂の模型を手に(左)、イエスとマリアに捧げる壁画

歴史の荒波や政治・宗教・イデオロギー闘争の渦に巻き込まれ続けてきたアヤソフィア。2016年に初めて訪れてから毎回足を運んでいる。トルコを訪問すると、アヤソフィアの囁きが響いてくる気がするからだ。その囁きに導かれて旧市街地へ足を運ぶと、薄っすらとしたピンク色の外壁が目に入ってくる。すると足取りが早くなり、心が踊り出すような気持ちになるのはなぜなんだろう。聖堂内に入ると、思わず何度も深呼吸せずにはいられないほど肌で感じることのできる天井の高さと聖なる空間。天井壁画のイエスとマリア、復元されたモザイク壁画にいつも吸い込まれるようで、目を凝らして見入ってしまう。

イスタンブールを訪れる人たちを五感で魅了し続けてきたこのアヤソフィアだが、博物館からモスクになった後、2022年春に訪れた時は、女性は頭にヒジャブ、そして長袖の上着を纏わなければ入場は許されず緊張した。床には緑のカーペットが敷き詰められ、博物館時代と異なり、他のモスク同様、男性しか礼拝できない場も設置されている。礼拝堂天井のイエスとマリアの壁画には布が被されているので目を閉じて想像するしかない。当然ながら、以前と比べ、外国人観光客よりトルコ人礼拝者数が多くなっていたことも事実だった。

イスタンブールへ行く機会があれば、きっとまたアヤソフィアに行かずにはいられない気持ちになると思う。そして、トルコの血を引く二人の孫娘たちの名前も、ミラ・サフィアとアヤ。宗教・政治・イデオロギーなどを超越して聳え立つアヤソフィアのように、勇敢で心豊かな人間に育って欲しいという願いがこもっている。

礼拝堂内イエスとマリアの壁画には布が被されている(2022年)

礼拝堂内イエスとマリアの壁画には布が被されている(2022年)


布で覆われたイエスとマリアの壁画

布で覆われたイエスとマリアの壁画

ペラ・パレス・ホテルの非日常的な空間とタイムスリップ経験

イスタンブールに来ると毎回足を運ぶアヤソフィアと違い、2023年6月に初めて訪れたのがペラ・パレス・ホテル。実は、一泊だけであったが、ペラ・パレスに宿泊したのは結婚33周年記念日だった。夫の粋な計いで、イスタンブール空港に降り立ちレンタカーでホテルに到着するまで宿泊先を知らされていなかったため、ホテル到着後からチェックアウトまでかなりテンションが上がり興奮が止まなかった。

ペラ・パレス・ホテルに到着して興奮気味

ペラ・パレス・ホテルに到着して興奮気味

そのペラ・パレス・ホテルは、パリ・イスタンブール間を走行するオリエント急行乗客の宿泊施設として1892年に建築が開始され、1895年に開業。約130年にわたる歴史を誇る老舗ホテルで、歴史の“生証人”でもある。建国の父ケマル・アタテュルクは、1915年から1917年、オスマン帝国の将校時代にペラ・パレスで頻繁に会食や宿泊をしている。そして、アタテュルク生誕100周年の1981年、101号室に数多くの遺品を展示するアタテュルク博物館が誕生した。

ヨーロッパで2番目に古い電気エレベーター

ヨーロッパで2番目に古い電気エレベーター

エアコンシステム

エアコンシステム

チェックインが終わると、ベルボーイが、ヨーロッパで第2番目に古いエレベーターやエアコンシステムについて、その歴史・背景を懇切丁寧に説明してくれた。オスマン帝国時代、宮殿以外で電気が敷かれたのは、このペラ・パレスが初めてだったという。基本的に宿泊客でもチェックイン直後しか利用できないその古いエレベーターに乗ると、ベルボーイは、宿泊したことのある著名人の名がついた部屋について説明、いくつかその前も通り、宿泊する客室まで案内してくれる。ちなみに、英国ミステリー作家アガサ・クリスティーが失踪中にペラ・パレスに潜み、ミステリー小説『オリエント急行の殺人』を執筆したとされる411号室、映画監督アルフレッド・ヒッチコックが滞在した611号室などを廻り、アーネスト・へミングウェー・スイート220号室へと案内してくれた。米国人ノーベル文学賞受賞作家のヘミングウェイもジャーナリスト時代に、このペラ・パレスに滞在していたのだ。部屋の中はヘミングウェイの肖像写真が飾られ、著作品もずらりと本棚に並ぶ。その日は、ホテルの中を何度も歩き回りまるでタイムスリップして歴史を遡り、歴史上の人物と出会ったような不思議な経験だった。

アーネスト・ヘミングウェー肖像写真

アーネスト・ヘミングウェー肖像写真

チェックアウトの際には、「411 Agatha Christie」と刻印されたキーチェーンを宿泊記念に手渡してくれて、最後の最後までサービス満点のペラ・パレス・ホテルだった。歴史やミステリー小説好きな人なら一度は訪れてみたくなるイスタンブール旧市街地の名所の一つだろう。非日常的で素敵な空間とタイムスリップ経験をプレゼントしてくれた夫に感謝!

ホテル・キーカードには著名宿泊客の写真(左上から時計回りにイアン・フレミング、ケマル・アタテュルク、ザ・ザ・ガボール, ヒッチ・コック、アガサ・クリスティ、サラ・ベルナール)、そしてホテルでもらった記念キーチェーン「411アガサ・クリスティ」

ホテル・キーカードには著名宿泊客の写真(左上から時計回りにイアン・フレミング、ケマル・アタテュルク、ザ・ザ・ガボール, ヒッチ・コック、アガサ・クリスティ、サラ・ベルナール)、そしてホテルでもらった記念キーチェーン「411アガサ・クリスティ」

オルタキョイでの楽しい日常生活

オルタキョイ商店街のフルーツ店

オルタキョイ商店街のフルーツ店

さて、トルコの魅力は日常生活の中でも存分に感じることができる。2019年、娘から出産前に手伝いに来て欲しいと頼まれ、単身でイスタンブールに飛んだことは、拙文「アンネ・アンネの夢」にも記している。アンネ・アンネ(トルコ語で「母方のおばあちゃん」の意味)思いの孫娘ミラ・サフィアは、予定日を過ぎてもなかなか誕生してくれないものだから、朝、娘から「今日もまだ出かけても大丈夫よ〜観光してきて」と言われると、不安を感じながらも嬉々として近所の商店街や街に買い物に出かけた。その頃、娘夫婦は、イスタンブール旧市街地から車で30分ほどの郊外オルタキョイに居を移していた。オルタキョイは、トルコ人の日常生活を垣間見るには絶好の場だった。日本の駅前商店街のような雰囲気で、お肉屋さん、お魚屋さん、パン屋さん、果物屋さん、八百屋さん、ケーキ屋さん、スパイス・ナッツ屋さん、カフェなどが建ち並ぶ通りが近所にあり、毎日、一軒一軒のぞくだけでもトルコの日常生活を知ることができた。新鮮な果物や野菜を見定めて買うのがこんなにも楽しいものなのかとトルコの日常を満喫した。

観光フェリーから見えるオルタキョイ・モスク

観光フェリーから見えるオルタキョイ・モスク

ボスフォラス海峡の夜景

ボスフォラス海峡の夜景

オルタキョイの魅力は、住宅地からオルタキョイ・モスク近辺の観光地まで徒歩で出かけられることも挙げられる。オルタキョイ・モスクやボスフォラス大橋近辺には屋台や出店が多く、こちらも小物店やお土産屋さんがズラリと並ぶ。そして、周遊フェリーに乗ると、ボスフォラス海峡からアジア地区、ヨーロッパ地区の両大陸の景色を眺めながら1時間ほどくつろぐこともできた。船上でもトルコ・ティーは、美しい曲線の透明な小グラス・カップに注いでくれて、碧いボスフォラス海峡を往来しながら午後の最高のひと時を過ごした。

いつか参加したい、ボスフォラス海峡横断水泳レース

さて、地上でもそのボスフォラス海峡沿いの大通りを散歩するのは楽しかった。ある日、娘と散策していると、大波の海峡を泳ぐ人たちがいるではないか?!幼少の頃に毎夏、瀬戸内海で泳いで育った私は、泳ぎが好きで大人になってからもトライアスロンに挑戦したこともある。この数年は、もっぱら夏に過ごすニューハンプシャーの湖で毎朝、瞑想しながら泳ぐマイペースの水泳となり、レースからは縁が遠くなっていた。けれど、ボスフォラス海峡のスイマーたちを見て興味津々。競争心も少し湧いてきた私は、海峡を泳いで上がって来るお兄さんたちに、娘に通訳してもらいながら話しかけてみた。すると、毎年開催されるボスフォラス大陸横断水泳レース参加のために訓練中だという。アジア大陸からヨーロッパ大陸へと約6.5キロ泳ぐこのレースは、世界中からスイマーが集まり参加するらしい。こんな荒波で危なくないのか、と聞くと、「波に乗って泳げるコースだから大丈夫なんだ!でも泳ぎ込んでおかないとね!」と頼もしい返答。すっかり感動して影響を受けた私は、「私もいつか絶対に泳ぎます!」と言って写真を一緒に撮ってもらった。が、その後、コロナ禍となり未だレース参加は実現していない。お兄さんたちも参加できたのかしら、と思い出しながらいつの日かレースに参加する計画を練りたいなと思うこの頃だ。

ボスフォラス海峡を泳ぐお兄さんたちと

ボスフォラス海峡を泳ぐお兄さんたちと

自分の残りの人生でやりたいこと、行ってみたい国や場所を書き留める私の“バケット・リスト”は、トルコ各地の観光地や文化施設がこの数年ずっとトップランキングを占めている。イスタンブール主要観光名所、古代遺跡エフェソス、旧首都ブルサ、エーゲ海の真珠イズミールなど既に訪れた街や都市も多々あるけれど、まだまだ家族と一緒に行って見たい場所や一人でやりたいこともトルコにたくさんある。トルコの魅力を満喫するためトルコ語の学習にも乗り出した。


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