『Cello Love ニューヨークチェロ修行』石川敦子著
著者はある日、ニューヨーク市カーネギーホールでのファミリーコンサートに何の気なしに出かける。そこで心底楽しそうな舞台上のチェロ奏者を目の当たりにし、感動のあまり一念発起してチェロを習おうと決意する。子どもの頃にピアノは習ったが、チェロに関しては初心者の著者。おまけにフルタイムの仕事を抱える忙しい身だ。しかし「鉄は熱いうちに打て」の言葉通り、その次の週末、著者は早くもチェロの先生のドアを叩く。ちなみに著者にそこまでの決心をさせたチェロ奏者とは、かのヨーヨー・マだった。
本書は、ニューヨークで忙しくやりがいのある仕事に励むその傍ら、思い立ってチェロのレッスンを始めた著者の2年にわたる奮闘記のブログを一冊の本にまとめたものだ。第一刷は2008年だが、10年以上前に書かれたという古さはまったく感じられない。それどころか、チェロを通して出会う様々な人々とのふれあいや、表現することの喜びが生き生きと綴られており、読んでいるこちらも著者とともに、一連の出来事を一緒に体験しているかのような気分になる。良い師匠が見つかった後は、楽器選びの紆余曲折を経験したり、勇気を奮って市民オーケストラ参加に挑戦したり。夏休みには、はるばるイタリアでのチェロ合宿にも出かける。何か新しいことに挑戦する際のドキドキする胸の鼓動やワクワク感、失敗したらどうしよう、これは自分の能力を超えているのではないかという不安な気持ち、好きなことを突き詰めてみたからこそ味わえる達成感や豊かな経験の数々――。著者のテンポのよい文章が、端々にちりばめられた心地よいユーモアのセンスとともに、読者を案内する。何かに興味を持ち、挑戦しようとする人の背中を、そっと優しく押してくれるような、そんな大きな思いやりにあふれた本である。
「・・・思い切って音を出してみた。・・・ぐっと胸が熱くなった。わぁ、本当に私も音を出している!みんなと一緒にひとつの音楽を作ってる!そんな感じを初めて受けた。なんて素敵な感覚だろう。・・・五分ほどの短いその曲が終わったとき、私は感動で動けなかった。・・・」(同書より)
本書は、著者が誠実に謙虚に自分と向き合った記録でもある。一貫してその根底にあるのは、人間としての温かさとか、愛情深さとか、自分に対する正直さだと思う。文章には人となりが現れると言うが、著者の文章からはまさにそれが見て取れる。著者の前職は、日本のテレビ局の報道ディレクターであり、この本の中で当時を回想するシーンも何度か登場する。当時の仕事にとても丁寧に、そして誠実に向きあっていたであろう著者の姿も想像できる。丁寧に生きるとはこういうことなのだろうと、あわただしく日々を送り、落ち着きのない私はうっとり想像する。
チェロ修行に邁進する彼女の奮闘の話それぞれもとても良いが、本書のもう一つの魅力は、彼女の祖父母をはじめ、家族との会話を回想したエピソードにもあると思う。子供時代の幸せな風景。両親や祖父母との思い出。読んでいて吹きだしたり、家族の温かさにじんと来たり。
種明かしをすれば、著者の石川さんは実は私の中学時代からの友人である。本書に描かれているのは、彼女の豊かな人生のたった2年間、それでもとても素敵な2年間の物語だ。彼女を知る人はもちろんのこと、全然知らない人をも勇気づけ、励まし、元気づけてくれる。「失敗も含めて、全部のプロセスを楽しむくらいの気持ちでいけばいいんじゃない?」と語りかけてくる。石川さんはその後、本書にも出てくるアメリカ人のご主人と結婚され、やはり音楽を愛する中学生のかわいいお嬢さんとともに、今は3人でテキサス州に暮らしている。ブログをまとめた頃と比べれば、生活圏も家族構成も変化したが、彼女は今も音楽が大好きで、謙虚で誠実で、おもしろくて愛情いっぱいで、嬉しいことに、その人となりは昔と少しも変わっていない。
☆アメリカ国内で本書をご希望の方に、1冊10ドル(送料込み)でお分けいたします。ご希望のかたは、yuko.wain13@comcast.netまでメールでご連絡ください。
1993年に留学のため渡米。JETRO(日本貿易振興会)東京本部、野村総合研究所ワシントン支店を経て、現在は夫とともに不動産管理開発会社を経営する。家族は夫、子供2人と犬(ベルジャン・マリノア)。米国メリーランド在住。