懐かしの国、トルコ

早朝から聞こえるアザーン(イスラム教の祈りを捧げるよう促す呼びかけ)、道に漂うケバブとトルココーヒーの匂い、市場に積み上げられた様々なスパイスの鮮やかな色、近所の小学校から聞こえてくる朝礼の国家斉唱、省庁のオフィスにあるアタチュルクの写真――。エッセイを書き始めるとトルコで暮らしていた時の懐かしい音、匂いや色が蘇ってきます。2007年9月から3年間、世界銀行トルコ事務所で働きました。

エジプトバザール 積み上げられるスパイス

エジプトバザール 積み上げられるスパイス

当時のトルコ事情

私が駐在していた2007年から2010年は、トルコにとってはリーマンショック後の金融危機の影響を受けたものの、概して高成長の時期で、政権を担当していたAKP(公正発展党)も今とは違い、特に経済政策が功を奏したこともあり、国民からの一定の信頼を得ていた時期でもありました。一人当たり所得も一万ドルを超え、EUへの加盟の議論もかなり進展し、国民も自国に対する自信を強め、地域の盟主としての地歩を固めているように見受けられました。但し国内では‘世俗主義’と‘イスラム色の強いAKP’とのせめぎ合いが常にあり、そうした政治的対立が経済政策議論にも反映され、この国の持つ複雑な背景を目の当たりにしました。

ヘッドスカーフの女性

ヘッドスカーフの女性

特にこの時期、大学での女子学生のヘッドスカーフを巡っての議論がありましたが(注)、これは宗教的な議論と見られがちですが、実は経済的な背景も大きな要素です。アナトリア地方と呼ばれるトルコのアジア地域は、従来ヨーロッパ地域に比べて経済発展が遅れ、農業主体のイスラム色の強い地域でしたが、2000年代に入ってからの中産階級の勃興で、そうした地域からも首都のアンカラやイスタンブールなどの大学に女性が入学するようになりました。女性の高学歴化を必ずしも望んではいないものの、結婚に箔がつくといった理由でこうした地域の中小企業のオーナーたちが娘の大学入学を許すようになり、アナトリア地域からの女子大生が増えるようになったのです。それまでは問題にならなかったヘッドスカーフが、こうした人々の流入によって目につくようになり、またこうした地域から出てくる人々を無教養の田舎者と見下していた、アンカラやイスタンブールの裕福な世俗主義の人々との間で軋轢を起こしたということが、背景にあります。「スターバックスにもヘッドスカーフをした人が来るなんて嫌だわ」というコメントにギョッとしたことを思い出します。

イスタンブールの四季 夏

イスタンブールの四季 夏

イスタンブールの四季 秋

イスタンブールの四季 秋

イスタンブールの四季 冬

イスタンブールの四季 冬

イスタンブールの四季 春

イスタンブールの四季 春

美しいトプカプ宮殿の伊万里、数々の遺跡

こうした政治問題はさておき、トルコはどこを歩いても3000年以上にわたる歴史が呼びかける、素晴らしい国です。勤務地は首都のアンカラでしたが、歴史、文化、経済の中心はイスタンブール。イスタンブールは世界の中で一、二を争う美しい街ではないでしょうか。その昔、「あの街が欲しい」と言ったメフメット2世の気持ちがよくわかります。

伊万里のプレート

伊万里のプレート

読者の皆さんはイスタンブールの有名なところはご存知でしょうから、このエッセイでは、あまり触れられていないトプカプ宮殿の伊万里、有田の話を。私は日本や中国、韓国の陶磁器が好きで、伊万里や鍋島の作品を良く美術館で見たりしていたので、トプカプ宮殿の巨大な台所で、無造作に置かれた伊万里を発見した時はびっくりすると同時に、至福のひと時でした。これは当時のスルタンが毒味のために磁器を使用したため輸入されたのだとか。毒が盛られていると青磁の色が変わると言われていたそうです。トプカプには子供のこぶしほどあるダイヤを始めとして膨大な財宝やら、素晴らしいタイルやら見る物が多く、陶磁器にはあまり陽の目があたっておらず、ゆっくりと見られたのが良い思い出です。しかもアラビア文字のある青磁のお皿もあって、かつての貿易を通じた日本とトルコの交流にしばし夢を見る思いでした。

イスタンブールの他にも、ご承知のようにカッパドキア、パムッカレなどトルコにはたくさんの見所がありますが、日本人の方があまり観光に足を踏み入れない、アナトリアの南の地域あるいは黒海地域にも素晴らしい遺跡が数限りなくあります。帰任する前に駆け足で回った、シリアとの国境のマーディンでは、丘の上からシリア国境を越えて麦畑が広がる素晴らしい景色が見られました。この地域はシリアのみならず、中東地域からトルコ、ヨーロッパを目指して、隊商が通った道だとか。隊商宿もいくつもあって、さすがにラクダを連れた隊商(!)は見掛けませんでしたが、まさにアラビアンナイトの世界でした。私たちが訪れた当時はシリア、トルコ間のビザの取得が簡素化されて、交流しやすくなったとマーディンの人たちは笑っていましたが、今はどうなっていることか。想像すると胸が痛くなります。またこのマーディンでは日本で勉強したという考古学博物館の館長の建築中の家を見学させてもらうことができ、アラビア風の彫刻が施された砂岩の美しい建築を堪能したことも良い思い出です。

マーディンの博物館長の家

マーディンの博物館長の家

またの再会を願って

こうしてトルコの思い出を書いていると、トルコで一緒に仕事をした仲間や、旅行中に出会った親日家のトルコ人たちなどが懐かしく思い出されます。2010年代には政治経済共に大きく揺れ動き、それまで築き上げた経済基盤にも影響が出たトルコですが、また楽しく安全に旅行が出来る状態に一刻も早くなるように切に願うばかりです。

P.S.トルコ旅行を楽しむためには乾燥対策をお勧めします。トルコは湿度がとても低いので、旅行中は保湿とのどの乾燥対策が必須です。家では洗濯したジーンズが家の中で4時間で乾きましたし、アジの干物も室内で出来ました!

注)大学や公的機関内ではヘッドスカーフは禁止されていた。初代共和国大統領のアタチュルクがそれまでの旧弊を排除するために女性のヘッドスカーフ、男性のあごひげを禁止。その後、女性公務員のヘッドスカーフ着用が許可されたのは2013年だった。

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