国籍ということ
梅雨入りの日々です。
夾竹桃が花開き、ノウゼンカズラが白壁にあふれ咲いて、水災害のおそれが警告されながら、湘南の町は夏の気配が濃くなっています。
新型コロナウイルス感染症拡大の阻止に関わる緊急事態宣言が再度発令されて、まだ日常は戻りません。私の頭は日に日に劣化の模様で、老いとはこうしたものかと、妙に感心しています。若き日には、思いもかけなかった、思考の衰弱があります。国籍問題を語るには、少々、心もとない感じです。
それでも書いてみようと思ったのは、いま、娘が国籍に関して、直面している問題があるからです。
コロナ禍で起きた問題
もともと日本国籍であった娘は、2005年からアメリカ市民権を持ち、2021年に日本国籍放棄(renounce Japanese citizenship)を明言させられました。娘はアメリカで働いていますが、私の健康を心配して、時折、休暇をとって戻ってきます。
私は、20年ほど前ですが、アメリカの市民権を取りました。私がアメリカで働き、財産を持ち、それを維持するために、市民権を持つ必要がありました。その後、日本での就職と居住を確実にするため、在留外国人カードによって、日本での永住者として、日本での居住を許可されています。日本国籍を持ちません。日本でも、米国でも、住民税等支払っています。いつでも、米国に戻ることができるようにしています。娘は、基本的に米国人として、米国で働き、暮らし、税金を納めています。将来的に、私たち夫婦の老化を心配して、日本で仕事をすることになれば、国籍に関して、なんらかの手続きが必要でしょう。
さて娘が最近直面した問題です。彼女は米国の市民権を持つ米国人です。今年2021年2月に私が自宅で一過性の脳虚血発作を起こしました。一過性ですので、24時間後には直りましたが、後遺症があります。娘が心配して、すぐに来ようとしましたが、米国人として日本に入国するために、医師の診断書をはじめ、必要書類をそろえるのに、大変な時間を使い、5月に戻ることが出来ました。これはCovid 19に関して日本政府が、米国人を含む外国人の入国を基本的に禁止していることに由来します。しかし日本国籍を持つ日本人であればより簡単に帰国できたと聞きます。もしも米国と同様に日本が重国籍を認める制度であれば、娘は苦労少なく来られたはずです。
私が20年前、米国の市民権を取るにあたっては、日本の法律により、日本国籍を放棄する必要がありました。私は国籍を複数もつことはこれからの世界の流れであると思い、世界平和の基盤となると考えていました。しかし私も娘もそれはできませんでした。
日本の次の世代、若い人たちが、日本を出て、他国の理解を進めることが、とても大事です。いつまでも古い政治家に国際政治のことを任せてはいけません。そう簡単なことではありませんが、そして、一人の人間が変えられる制度ではありませんが、一つの国の、国境を越えて、世界を見ることは、とても大切なことだと思います。多くの難民の映像を見つめながら、国籍という問題を考えさせられます。容易なことではありませんが、開かれた人々の意識と、開かれた国々によってのみ、世界の人々の安寧と平和を築くことが可能となるだろうと思います。
アジア都市コミュニティー研究センター(UCRCA: http://www.ucrca.org) 代表。日本女子大卒、東京大学大学院修了、工学博士。1級建築士。元関西学院大学大学院大阪大学公共政策大学院教授。元アーバン・インスティテュート、 リサーチアソシエート。WJWN設立、Japanese Americans’ Care Fund設立。政策産業、政策研究・分析評価の振興をめざす。