ヤングケアラーたちに捧げる音楽 RESILIENCEー回復力、立ち直る力、復活力

ヤングケアラーという言葉をご存知ですか?

英国に30年程遅れ、日本政府は2020年から「ヤングケアラー」の実態について発表をし始めました。これがきっかけで、ヤングケアラーへの関心が高まり、2021年には新語・流行語大賞の候補の一つにもなり、NHKでもゴールデンタイムにヤングケアラーを話題として取り上げるなど、このかくも深刻な社会問題にようやく光が当たり始めたのです。

音楽好きなケアマネージャーさんとの出会い

私自身も少し前までヤングケアラーに関する知識は全くありませんでした。認識するようになったきっかけは、20年に渡る海外生活を終え日本に帰国し、2018年より現在96歳になる父と同居、介護生活を始めた時から父を担当してくださる男性ケアマネージャー美齊津康弘さんとの出会いでした。

ある時音楽がお好きだというお話から、私が韓国在住時代に制作しましたCDをお聴きいただけたら、とお渡しました。翌月のミーティングでお会いした時、意外にもこうおっしゃるのです。「CDの中に『栗卵』(ユルラン、栗卵は韓国伝統菓子の名前)というピアノ曲がありましたが、実はその曲を聴いて涙が止まらなくなってしまったんです。そこでお願いがあるのですが、この曲に私が歌詞を書かせてはいただけませんでしょうか?」

驚いた私は「もちろん書いて下さっても良いのですが、この曲はピアノ用に作曲しましたから歌用の旋律としてはかなり難しく無理な部分があります」と、正直に申し上げました。すると、恥ずかしそうに「実はもう既に作って持って来たんですが、聞いていただけませんか?」とおっしゃるではありませんか。私はとにかくピアノで伴奏をして、ご本人に歌って頂きました。すると、その歌詞は大変美しいものであると同時に、歌には難しいと思われた旋律部分も自然に音楽的に言葉が載せられており心底驚き感動したのです。

徘徊する母の介護に明け暮れた元ヤングケアラー

美齊津さんは、この時、初めてご自身が若年性認知症のお母様の介護をされたご経験を語られました。当時まだ病名もない頃、若年性認知症を患ったお母さんを介護し始めたのはご自身が11歳の時でした。水産会社を経営する父は働きづめで、歳の離れた姉は嫁ぎ、兄も大学進学で不在。お母さんは、多くの病院で診察を受けますが、原因不明で治療法もないまま病状は進行していきました。

中学生になった時には学校から帰宅すると、まず徘徊している母を探しに行くことが日課となり、排泄の場所がわからなくなりゴミ箱に用を足してしまう母の汚物を片付けることもあったそうです。そうした生活の中で、今振り返ると、穴の中でうずくまり、怖くて助けを求めることもできないような閉塞感に襲われ、周囲に言い出せず、社会への不信感を募らせていったと言います。そうした生活は、お母さんが精神病院に入院することになった高校1年頃まで続いたそうです。

お母さんの世話を自分の「運命」と思い込み、周囲に話すこともなく孤立し、お母さんのことを「家の恥」と感じ、学校の先生にも、友達にも、近所の人にも、母のことがバレないように取繕って生活し、学校では常に笑顔でいることで本心を隠し、もがき苦しみ、母の病のことばかり心配して過ぎ去った青春期であったと。

また、ご自身は世の中で「ヤングケアラー」という言葉が使われるようになって初めて、親を介護する子供は自分だけではなかったんだと知って驚いたと言います。自分がヤングケアラーだったということも、その時やっと認識したそうです。そして、2年前からやっと自分の経験を話せるようになったと。

蘇った母との思い出を歌に

そして、「栗卵」の詞を書かれた動機を伺いました。いつものように学校帰りに徘徊する母を見つけ、母の手を引いて家に戻る途中、目前にかくも美しい夕焼け空が広がるのを見て、思わず二人は歩みを止め、呆然と立ち尽くしたそうです。その頃、既にお母さんとの会話らしいやり取りは不可能でした。その時、ご自身の口から思わず「綺麗やね」という言葉が出たそうです。するとお母さんが「うん、き・れ・い」とはっきり返してくれたそうです。

その時、お母さんと久しぶりに会話を交わすことができた感動は、例えようのないものだったそうです。

その時の感覚と夕焼けの情景が、「栗卵」のピアノ曲を聞いて一気に蘇ったそうです。そして詞になったと。

息子から見たお母さんへの思いと共に、母が子供に託す祈りのようなメッセージが浮かび上がってくる歌詞です。

美齊津さんの介護経験は、ご本人書き下ろしの原作が注目を浴び、『48歳で認知症になった母』という漫画本としてKADOKAWA出版社より昨年11月に出版されました。その表紙は、この「栗卵」で蘇った夕焼けのシーンとなっています。

あらゆる苦しみの中にいる方々に勇気を持ってもらえたらという思いで、さらに応援歌「RESILIENCE」も作詞・作曲されました。その曲がまた素晴らしく、私はこれらの曲を今、世の中に放たねばと思いたち、CD RESILIENCEが完成、昨年11月にリリースされました。

ヤングケアラーたちに捧げる音楽CD - RESILIENCE

ヤングケアラーたちに捧げる音楽CD – RESILIENCE

ヤングケアラーを支援する「True-I」結成

福祉と音楽の恊働ユニット「True-I」のメンバーたち

福祉と音楽の恊働ユニット「True-I」のメンバーたち

ヤングケアラーのことを少しでも多くの方々に知ってもらうため、美齊津康弘さんによる講演、オカリナ奏者のホンヤ ミカコさん、歌とピアノは私が担当する「True-I」という福祉と音楽の恊働ユニットを結成しました。今後もヤングケアラーたちをサポートする活動をして参ります。

課題としては、ヤングケアラーを「見つける」ことが非常に難しいということ、そして見つけた後のアプローチの仕方も非常にデリケートだということなどがあります。当事者の子供や親は、通常、家庭の事情を他人に知られたくないという思いがあるからです。ですから、学校やご近所など、地域住民がつながり合える地域づくりにチャレンジして、人間同士がつながりやすい土壌を作り、ヤングケアラーを支える下地を築いて行くことが何より大切なことだと感じています。

それぞれの国によって状況は異なると思いますが、日本でもヤングケアラーをサポートする取組みがようやく始まりつつあります。シンプルでいて時に難しい「人を思う心」、「人間の心と心の繋がり」が、何より大切であると感じるこの頃です。

オカリナ奏者 ホンヤ ミカコさんと筆者(左)

オカリナ奏者 ホンヤ ミカコさんと筆者(左)


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