私の意識から抜けていたワシントンDCの縦の多様性

私が日本からニューヨークに留学後、仕事のためにワシントンDCに移ってきて、かれこれ30年以上経つ。DMV(DC郊外のMaryland州やVirginia州も加えたWashington DC Metropolitan Areaの略称)は、2021年のAmerican Community Surveyによると、690万人の居住者中、白人43%、アフリカ系24%、ヒスパニック・ラテン系(Latinx)17%、アジア系11%、その他5%。すでに白人は過半数を割り、非白人層の半分近くがアフリカ系、残りのほとんどをLatinxとアジア系が占めている。Latinxとアジア系は、1980年の調査ではそれぞれ全体の3%弱以下の割合であったが、それ以降増加をたどり、アフリカ系に追いつく勢いだ。このような人口構成は、アメリカの都市のなかでも、特別多様性に富んでいるといえよう。DCに住んでいて、異なる人種、民族、出身国の友達や同僚がいる自分は、多様性を体現する生活を送っていると思い込んでいた。今年の春のある日迄は…。

UDC (University of District of Columbia)で、幼児教育の大学院コースを聴講

国際教育開発を専攻した私は、ワシントンDCをベースに途上国の教育に30年以上携わっていた。仕事を通して、特に幼児教育に強い関心をもつようになり、4年前に引退して時間の自由が利くようになってからは、昨年はDCのプレスクール(3₋5歳児対象)にてパートタイムで勤務したり、今年の春は近所のUniversity of the District of Columbia (UDC) で幼児教育についての大学院クラスを聴講したりした。そのクラスは、私とグアテマラ人以外は、教授も含め、すべてアフリカ系アメリカ人の女性。クラスメートたちは、日中は公立のプレスクールで働きながら、夜にクラスを受講していた。DC政府は、2008年よりプレスクールの無償化プログラムを実施しており、公立ならば授業料がかからないため、低所得の子供たちも通っている。私立のプレスクールに比べると施設や教材などは限られていて、また様々な問題を抱えた家庭出身の子供たちも多く、一般的に、”at risk”の生徒が半数というデータもでている。それでも、クラスメートたちは一生懸命に子供たちのために色々な工夫をしていて、話を聞いていて感心させられた。経済的余裕のない家庭に生まれ育った子供たちが、出来る限り豊かで意義のあるプレスクール時代を経て、小学校に入学して欲しいという切なる願いから、献身的に教えているのかもしれない。UDCは公立大学であることから、学生はワシントンDCの経済的に豊かでない家庭出身者が多いので(注参照)、クラスメート自身、こうした子供たちと似通った家庭環境で育った場合もあるだろう。

クラスメートの生い立ち話に、目からウロコ

クラスの最終日は教授の提案で、カフェレストランで夕食をしながら自分の関心テーマについて個々がプレゼンしようということで、皆がテーブルを囲んで授業をした。そのカジュアルな雰囲気のせいか、アフリカ系アメリカ人のクラスメートの一人が、急に次のようなことを話しだした。自分は貧しい家に生まれ、家族の誰も大学に行ってないし、定職にもついてなく、Street Cultureの中で育った。高校は遅れてやっと卒業し、その後も4年間ぶらぶらしていて、シングルマザーになった。しかしある時、UDC のCommunity Collegeに入るよう勧めてくれる人がいて、入学してからずっと勉強にのめり込み、A.A.(准学士号)、それに続きB.A.(学士号)を修得して、今は大学院コースに在籍。9年間ずっと学問をし続けている。現在、プレスクールで教えながら大学院で学び、5人の子育てをしているとのこと。そういう自分を見て育った子供たちは、自分自身の子供時代に比べ、教育や将来のことをきっちりと考えているとうれしそうに話していた 。

カフェレストランでのUDCの大学院コースの最後の授業。手前右側が教授で、後はクラスメートと、クラスメートが連れてきた5歳の娘

カフェレストランでのUDCの大学院コースの最後の授業。手前右側が教授で、後はクラスメートと、クラスメートが連れてきた5歳の娘

この話を聞いたとき、私は突然頭を打たれたような衝撃を受けた。途上国の仕事に携わっていて、退職してからホームレスや移民の子供たちに関わるボランティア活動をはじめたものの、自分の住んでいるDCのことはほんの限られたことしか知らなかった!DCの貧困家族とそのStreet Cultureなる生活の現状、そして、このクラスメートのように、その環境から努力して抜け出した素晴らしいヒーロー(ヒロイン)が存在することも。自分が繋がっている人々は、人種や国籍は様々であっても、実は自分と似た社会経済的地位の家庭出身者がほとんどで、教育レベルやキャリアも似通っている。DCで私が謳歌していると思いこんでいた多様性というのは、つまり横断的なヨコの多様性であり、経済レベルおよび家庭や社会的生活状況が異なる縦断的なタテの多様性はほとんど知らなかったし、あえて意識もしていなかった。

Social Fabricは縦糸と横糸で成る

英語で、Social Fabricという言葉がよくつかわれる。これは、人や物で構成されている社会構造の一般的総称だが、Fabric(布)は縦糸と横糸両方無しではありえないし、Social Fabricとなると、縦と横、そして斜めやあらゆる方向の繋がり(分断の方が多いかもしれないが)で成っているのだろう。このクラスメートの話を聞いて、初めて私がSocial Fabricの横糸を主に認識していたに過ぎないことを思い知らされた。私の住むDCの住宅地は、Connecticut Avenueを挟んで反対の東側に大邸宅がならんでいる。ハロウィーンの時は、子供には安物のキャンディーでない高級菓子、大人にはシャンペーンをふるまう富裕層の人々。私は一切接触がないし、いったいどんな人達なのかまるで知らない。しかし同時に、低所得層との交流も限定されているし、UDCで出会ったクラスメートのように、つつましい家庭の出ながら、働きながら大学や大学院に通って、行政サービスが十分行き届かない子供たちの教育に情熱をもって携わっている、アフリカ系や移民の人々と知り合う機会もなかった。

Social Fabricを様々な方向で捉え、直に知ることの意義

前述のとおり、私は退職後、ホームレスや難民の子供たちと遊ぶボランティアをしている。ボランティアを始める前は、このような不安定な住居や経済環境にいる子供たちや、トラウマも経験しただろう難民の子供たちはメンタル面の問題を抱えていて、きっと助けが必要だろうと勝手に思い込んでいた。しかし、実際に一緒に遊んでみると、大半の子たちは明るく、その創造力やResilience(ストレスに対する自発的治癒力)に感心させられる。UDCのクラスメートたちと直接知り合えたことについてもそうだが、様々な社会・経済的状況や、異なる家庭・コミュニティの環境にいる人たちや子供と直に時間を共有することによって、自分の先入観に気付いたり、世界が広がって自分自身の活力や創造性が刺激されたり、相手の状況についてのエンパシーが自然に湧いてきたと思う。

おりしも、このエッセイを仕上げている6月29日に、米連邦最高裁が大学入学選考において人種を考慮するのは違憲と、従来の「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」を覆した。これにより、大学の学生構成の多様性が減ると懸念され、黒人女性でリベラル派のケタンジ・ブラウン・ジャクソン判事は、肌の色により機会が制限されたり、困難を経験した人々の実際の生活を理解していない決断と厳しく非難した。肌の色による優遇措置は不公平であるといっても、皆が同等の社会経済レベルと機会を享受しているなら、学力、スキル、経験に基づいて入学審査をするのが公平だろうが、有色人種は、不利な状況におかれてきた場合が多い。アファーマティブ・アクションにより大学の多様性をはかるのは、有色人種の学生が高等教育の恩恵を被るだけでなく、他の学生が多様な人種や違った経済レベルや環境の人たちと知り合うことで、既成概念に気付かされたり、自分が慣れ親しんできたものと違う考え方や発想に触れたりする意味もあるだろう。これから、人種に限らず、性や経済レベルなどに基づくアファーマティブアクションも、大学や職場等で非合法とみなされることにならないとよいが…。

30年ワシントンDCに住みながら、つい最近初めてこのタテの多様性を意識した私は、この大学のアファーマティブアクションを覆す最高裁の決定を聞き、Social Fabricの様々な糸の繋がりが益々制限され、社会構造が今まで以上に同質化する懸念を持たざるを得なかった。皆さんの内で、アメリカでの子育て、仕事、コミュニティ活動などの経験から、私が知らないアメリカ社会の一面をご存じの方もいらっしゃると察するので、ぜひ機会があればいろいろな意見を聞いてみたいと思う。

注: New York Times (2017)の記事によると、UDCの学生の出身家庭の平均所得は、$37,500。年収$20,000以下の家庭出身の学生が全体の20%を占め、全国の公立大学中でも、低所得層出身者の割合が高い大学の一つである。

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