こだわりを形に〜私のお店ができるまで〜
ワシントンDCでヘアサロンを経営する吉原亜希子さんに、VIEWS編集部がお話を伺いました。
VIEWS(以下V): いつ頃から美容師になろうと思ったのですか。
吉原(以下A): 小さい頃はディズニーが大好きで、ディズニーで漫画を描いて映画を作る人になるのが夢でした。小学校の卒業文集にも、「ディズニーのアニメディレクターになる」と書いたのを覚えています。人の髪を触るのが好きだったり、手先が器用だったりはしましたが、美容師になりたいとは特に思っていませんでした。
私の場合、「アメリカに来たい」と思ったのが先でした。8歳の頃、家族旅行で初めてニューヨークを訪れたんです。タイムズスクエアで信号待ちをしながら、人の多さや、見たことのないたくさんの人種が行き交っている様子に圧倒されていたその時です。道端のカートで果物を売っていたインド人のおじさんが、笑顔で”Welcome to New York!”と言って、グリーンアップルを私に手渡してくれました。当時、青リンゴは日本では珍しかったし、ニューヨークの別名「ビッグアップル」とピッタリ重なるような出来事で、大きな衝撃を受けました。アメリカは、道端で出会ったインド人のおじさんが青いリンゴをくれる国なんだ!と思い、たちまち虜になってしまいました。そこからずっと、アメリカへの憧れはずっと頭の片隅に残っていて、またいつかあの大きな国に行ってみたいと思っていました。でも、英語ができたわけでもなかったし、勉強もあまり好きではなかった。当時は絵を描くことが好きだったから、いつかディズニーのアニメーターになりたいと思っていました。
中学・高校に上がると色々と興味も変わっていき、美容に興味を持つようになりました。近所のヘアサロンで、「アシスタント募集」の張り紙を見て「やってみようかな」と思い、ひょんなことからお世話になることになったのです。そこで、シャンプーの仕方から基礎技術を教わり、「髪の毛って面白い」と思うようになりました。そこで働きながらも、どうせやるならアメリカでやってみたい、という気持ちを持っていました。アメリカに行けば、日本人だけではなくて色んな人種がいる。多様な人がいる環境で、髪の毛の仕事ができたら面白そうだな、と考えるようになりました。
V:いつアメリカに渡ったのですか。
A: 渡米したのは19歳の時。高校を卒業して、日本で美容専門学校に行くことを考えていたのですが、私の 「アメリカに行ってみたい」 という強い思いを知っていたサロンのオーナーさんが、「それならアメリカに行ってみては?専門学校は、帰ってきてから行けば良い」とアドバイスをしてくれたのです。それで、思い切って1人でアメリカに渡りました。
V:すごい行動力です。
A: 初めの頃は、英語も全然できなかったので、ESLの学校に通っていました。でも、英語を学ぶためではなく、髪の毛の仕事をやりたくて来たので、なんとか糸口を探っていました。まずは知識をつけるため、研修ビザを取得して専門学校に通い始めました。同時に、研修するのに良いサロンがないかと探し回りました。そうしたら、当時ワシントン地域で最もレベルが高いと言われていたとあるサロンで、有名カラリストのアンドレア、雑誌にも出るようなトップスタイリストのフィリップの二人がオーナーをしていることを知りました。「このお店ならたくさん学べそうだ」 とピンと来て、早速訪ねていき、驚くフィリップとアンドレアを前に 「お給料は要らないから、ここで働かせてください!」と下手くそな英語で直談判しました。そんなことを言いにくる人は中々いないので、「面白いやつだ」 と思ってもらえ、本気ならお店に来て良い、と言ってもらえたのです。それ以降、学校に行きながら、毎日サロンに通いました。お給料をもらっていないのに朝誰よりも早くお店に来て、最後に帰るので、すごく気に入ってくれて、二人は私に色々なことを教えてくれました。誰よりも髪の毛が好きで、仕事をちゃんと見ていることが伝わったのも、気に入ってもらえた理由かもしれません。そうして1年半程そのサロンで現場経験を積み、英語を学び、その間に美容学校も卒業して免許も取得しました。
そうこうしていると、野心の持ち主だったアンドレアが、ロサンゼルスに自分のお店を出すことになり、一緒に来ないかと誘ってもらいました。それで2年程、ロサンゼルスのアンドレアのサロンで働きました。その後、ワシントンに戻ってくることを決め、ダウンタウンのあるヘアサロンに就職して、そこで7年程働きました。
V: 自分のお店を持ちたいという思いはずっとあったのですか。
A: 実は、全く思っていませんでした。私は、尊敬できるメンターの下で学びながらやるのがとても好きだったし、人を雇って自分がボスになるのは性に合わないと思っていました。その一方で、一日中髪の毛のことを考えていられるほど、私は仕事の枠を超えて、髪の毛に関わることが大好きでした。同業の人たちの中には、仕事として割り切ってやっている人もいたので、周囲とのズレを感じることもありました。
でも、私は元々働くことが大好き。まずは自分のお客さんを増やそうと、ワシントンに戻ってきてからの7年半はがむしゃらに働きました。初めの頃はお客さんが少なかったので、日中はサロンで働いて、夜はバーテンダーをしていました。バーテンダーになったきっかけは、どういう世界なのか興味があったことと、多くの人に出会うことができて、人生経験になるのではないかと思ったこと。実際に、この地で暮らす様々な人とたくさんの話をし、自分の世界が大きく広がりました。また、時間帯やムードに合わせた音楽や照明の使い方など、お店の雰囲気作りについても色々な学びや発見があった時間でした。
サロンではずっと働き続け、最後の数年間は週に1日だけ一人でお店に入る機会もいただいていました。その中で、一対一で気兼ねなくお客さんと接することや、自分のこだわりを追求できることの楽しさにも気づくようになっていました。この頃から、今後も誰かのサロンで働き続けていけば、何かしら自分のエゴとのぶつかり合いがあるだろうし、ダメもとで自分のお店を作ることに挑戦してみるのも良いかも、と思うようになっていました。自分のお店を持つには何が必要なのか、様々なライセンスや手続きのことなどを調べ始めたちょうどその頃、今お店がある物件が空いて、オーナーが入居者を探しているという情報を知り合いから得たのです。リノベーションも自由にやって構わないと言われ、すぐに決めました。そこから、建築関連の作業と、さまざまな書類の準備で、オープンに漕ぎ着けるまで合わせて2年程かかりました。個人経営の美容師の中には、アンダーグラウンドでやっている人もいますが、どうせやるならば胸を張ってやりたいという思いがありました。たった一人でアメリカにやってきて、アメリカ人と対等にやれるようになったことを証明したかったんだと思います。苦手なペーパーワークも1つ1つ自分で調べてこなし、2年後にようやく自分のお店がオープンしました。念願の、というよりは、なるべくしてこうなった、という感覚でした。
V:紆余曲折があって誕生したお店は、居心地が良いのに格好良くてユニークで、亜希子さんの人柄が溢れている場所だと感じます。自分のお店を作ると決めたときに、どんなこだわりがあったのでしょうか。
A: 第一に、「One of a kind(ただ一つ)」 の場所にしたいと思っていました。誰にも真似できない、「これが私」という場所にしたい、という思いです。お店の雰囲気作りには細部までこだわり、バーで働いた経験も生かし、例えばお客様にとって心地よい音楽や照明選びには時間をかけました。窓から差し込む自然光と馴染むように、季節や時間帯に合わせて照明を調節したり、朝にはふんわりと優しい香りの日本のお香を炊いたり。人の五感をくすぐる場所にしたいという思いが強くありました。その一方で、私はお店を大きく宣伝することはしていません。看板も掲げていません。これは、日本の街を歩いていると時々出会う 「知る人ぞ知る」お店にしたい、というイメージがあったからです。外から見ると派手ではないのに、一歩中に入ると居心地の良いこだわりの空間が広がっている。そういうのがすごく日本っぽくて素敵だと思っていました。
お客様が足を踏み入れた瞬間、「私」がどういう人間かを分かる空間を作り、「居心地が良い」、「面白い」と感じてくれる人に自分のお店を見つけてもらえたら、それ以上の幸せはない。そうして来てくださった方には、「自分の100%のスキルを使ってあなたを美しくします」というのが私のセオリーです。私は、「モノ」 の美しさとは、消えてなくなるものだと思っています。ずっと残るものではないからこそ美しい。これは髪の毛も同じで、私がどれだけ綺麗にカットしても、髪の毛はどんどん伸びていきます。それはそれで良くて、流れていくものを止めない、流れに逆らわないというのが根幹にある考えです。髪の毛の仕事というのは、インスタントに人を幸せにできる仕事だと思っています。私のところに来てくれた人を、自分の持っているスキルをフルに使って瞬時に幸せにすること、それこそが自分の使命だと思っているし、私にとっての幸せなのです。
V:ヘアスタイルを考える上で、どんなことを大切にされているのでしょうか。
A:仕事を通してお客様を幸せにするためには、自分自身が身体的にも精神的にもハッピーであることは大切だと思っています。そのためにも、毎日のランニングや自然に触れることはとても大切にしています。私の趣味は全米各地にロードトリップに行くことなのですが、人の真似ではないヘアスタイルを考えるためには、自然が最も良いインスピレーションだと思っています。空や大地、石の色、秋の枯葉の色が、カラーやスタイルを考える時に大きなヒントになったりします。
V:日本人の美容師は、技術もあって独自の美的センスも持っているという印象がありますが、この分野での日本人の強みや、日米の大きな違いとはどのようなことでしょうか。
A:日本人は、細かいことに気づくことができ、すごく高いレベルのこだわりを持っている人々だと思います。そして、そのこだわりを、何も言わずに、見ていないところでやることを良しとする文化があると思います。すごい技術やセンスを持っていても、「私はこんなにやっていますよ」と大っぴらに言うことは恥ずかしい、美しくないとする文化。これは本当に日本特有で、アメリカにはないものだと感じます。日本人のこだわりというのは、非常にニッチで、「オタク精神」とも呼ぶべきものだと思います。私も、髪の毛のオタクなんです。アメリカ人でもこだわりを持っている人はもちろんいますが、日本人のこだわりとはちょっと違うと感じます。
その一方で、アメリカ人は、口だけじゃない人、つまり口で言っていることを実際にちゃんとやっている人を見抜く力はあると思っています。私は、ヘアカットについては自分で編み出した独自の切り方を持っています。それぞれの人の髪が生えている流れに合わせて切っていく方法で、髪が伸びた時に良い具合にブレンドされるので、伸びた後もそんなにおかしくならないとよく言ってもらえます。お客さんからは、髪を切ったあと、周囲から褒めてもらえる、と言っていただけることも多いです。どんなふうに切っているのか、言葉で説明するのは難しいのですが、それぞれのお客さんの髪の毛の感覚というのは、自分の手で触ってよく覚えていて、こういう髪質にはこういう切り方、というのは、楽しくお話をしながらも、いつもしっかりと考えています。
V:大変面白いお話をありがとうございました。これからも、ワシントンの人々に幸せを届ける素敵なヘアサロンでいてください。
(インタビュー担当:相川めぐみ)
19歳で渡米。ワシントンDCでヘアサロン「髪屋ーA 」を経営。