メトロポリタン美術館で見た異文化体験とコミュニケーション

中央メインエントランスのインフォメーション・デスク

中央メインエントランスのインフォメーション・デスク

2002年秋からニューヨークのメトロポリタン美術館でボランティアをしています。ボランティアと一口に言っても、同美術館内では大きな組織で、アクティブな登録数は約1100人以上。館内で見かけるIDバッジを着用している5人に1人位が、ボランティアです。活動も多岐にわたり、「ドーセント」と呼ばれるビジター向け館内ツアーのガイド、学生や団体専門のグループの受付の担当、バックオフィスと呼ばれる各アートギャラリーの展示や、資料作成などを手伝うオフィス業務、そして、訪問者用のインフォメーション(正面玄関の各国語案内カウンター、各ギャラリーに設置されているインフォメーション・デスクなど)、会員申し込みデスク、会員専用のラウンジ担当、そして特別イベントの案内などなど。人によっては、同じ館内で複数の種類を掛け持ちしたり、市内の他美術館でもボランティアするなど積極的に活躍しています。

1回のシフトは3時間程度で、年間(7月から翌年6月までのサイクル)で、一定数以上のシフトをクリアすることが求められます。訪問者のお世話をするというのは、日本人の「おもてなし」の心にピッタリ来るうえ、ネームバリューもあり、少し前までは駐在員の奥様方の花形のボランティアだったと思います。

私の場合、同館で長くボランティアをしていた友人から、「あなた、美術館嫌いじゃないでしょ」と、彼女のチーム・キャプテンに紹介され、その場で即決。その秋からボランティアすることが決まりました。ちょうど、日本語を話す人を増やしたい時期だったようで、ラッキーでした。今は、ボランティア応募は全てオンラインなので、美術館のボランティアが担当するリクルートチームからコンタクトがあるまで長く時間がかかるようです。

日本ギャラリーでのスタート

日本ギャラリー。家具はジョージ・ナカシマ作

日本ギャラリー。家具はジョージ・ナカシマ作

今となっては死語となった日本の会社「企業戦士」として働いていた私は、その時代に一区切りつけた時で、美術館の静謐さと自由な空気感を精神的に求めていた頃でした。当時、すでにニューヨーク在住十数年経っていましたが、日々の多忙を口実に同美術館へは日本からの家族や友人の案内程度でしか足を運んだことがなく、それも日本人が好む印象派ギャラリーを回る程度だったので不案内この上なし。遅くまで開館している金曜夜に、意を決して仕事場から美術館に向かうも、館内であえなく迷うという有様でした。

最初にボランティアとして担当した場所は、日本ギャラリーで、キャプテンに一度説明を受けた程度でスタート。当時はお茶の手前や活け花のデモンストレーションが行われたので、数畳のたたみが設置されてあり、展示美術作品である日系人ジョージ・ナカシマ製作のデスクと椅子に座ってのシフトでした。日本の美術や芸術に関するビデオを流し、その操作や、オーディオ貸出などが、レセプションの仕事内容でした。時折やってくる小学校グループに、畳の使い方、座り方を見せたり、「こんにちは」「さようなら」の挨拶を教えたり、日本人ならではの文化紹介を少しずつ加えていきました。

日本ギャラリーでシフトの間に座っていたデスク(ジョージ・ナカシマ製作)

日本ギャラリーでシフトの間に座っていたデスク(ジョージ・ナカシマ製作)

今でも忘れられないのは、ニューヨーカーを体現したかのような初老の男性が、息せき切ってやって来て、”Where is Tale of Ise?”と詰問状態で迫られ、Taleというからには源氏物語だと早飲み込みし、「Tale of Genjiをお探しですか?残念ながら今は展示されていないのですが」と問い直すと、”No, Tale of Ise!”と押し問答で埒が明かず、苛立った彼がもう自分で探すから!と立ち去ったエピソード。しばらくしてから、Tale of IseのIseを彼が「アイセ」と発音していた事から「伊勢物語」を意味していたとは気付かずにいたことが分かり、冷や汗ものでした。ちょうど、ギャラリー内の展示が変わった直後のシフトで、その日は事前に時間の余裕がなかったこともあり、ギャラリーを一巡できておらず、しかもその「伊勢物語」は写本や巻物でなく、伊勢物語をモチーフにした小さな硯箱だったのです。このことから、想定や思い込みは危ない誤解につながると肝に銘じました。そして、毎回行く度に事前に展示品のチェックをすることも。

ちなみに日本ギャラリーでは、常設展示では、イサム・ノグチ作の「ウォーター・ストーン」、特別展や四季に合わせて展示される、尾形光琳の最高傑作のひとつと言われる伊勢物語の東下りの段を描いた「八橋図屏風」、北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」など世界的に有名な作品が多数、所蔵されています。

イサム・ノグチのウォーター・ストーン

イサム・ノグチのウォーター・ストーン

館内全体のインフォメーションへ

Great Hall 正面入り口

Great Hall 正面入り口

この日本ギャラリーに7年近くいた後、ボランティア組織の大規模な編成替えがあり、今度はビジター・サービス(現在「ビジター・エクスペリエンス」と改名)に所属が変わり、全体的なインフォメーション・デスク担当になりました。これには最低週1回の8週間にわたるトレーニング参加が必要で、最初の4週間は指導担当ボランティアのもと、彼/彼女の担当デスクでのトレーニングです。まず、館内の地図を徹底的に頭に叩き込みます。特に、車椅子やストローラーでの移動にはエレベーター利用を前提に考えるので、エレベーターの位置や、乗降前後の段差の有無を覚えるのは必須です。トイレの位置(最近はユニセックス利用のトイレ含む)、授乳室、祈禱室、夏季期間オープンのルーフトップや駐車場へのアクセス、レストランやカフェ、ギフトショップの位置や営業時間などを記憶します。案内は地図を渡しての説明になるので、目的地までのルート、途中で目印になる展示美術作品などを覚えることも必要です。

この4週間のパート1受講後、毎回違う各ギャラリーのインフォメーション・デスクに回され、その担当者から、そのデスク周辺での詳細事情などを4週間学びます。これを終了すると、簡単なテストがあり、自分の担当ギャラリーデスク、あるいはメイン玄関案内カウンターなどへの配属が決まります。英語以外の外国語が話せる場合はメイン案内カウンターへ行く可能性が高いのですが、週末シフトが可能だった私は、日曜シフト空席を埋めたかった「近代モダンアート・デスク」へ配属されましたが。1年後、ユーロセントリックな美術館内で、ボランティア間で人気度が薄いアジアギャラリー担当を希望して移動しました。

アジア人である自分なら、少しでも訪問者のアジア文化に対する理解が広がり、何かの役に立てるのではないかと思ったわけです。私は第一外国語の日本語と英語での対応がほとんどですが、世界経済力の反映は大きく、今はアジアギャラリーの主な訪問者は中国からの団体ツアーです。30年前は日本人ツアーグループが主体であったように。中にはほとんど英語を話さない人も多く、私の顔を見ると中国語が通じるかと問い合わせに来られるのですが、聞き手の行きたい場所が分かると、手を使ったり、漢字で「直行」と書いて見せたりして、意思の疎通をしています。

毎回違う人々とコミュニケーションを取り合い、異文化の一端が垣間見られるのが、醍醐味だと思うのですが、素材を確かめたり、写真撮影で展示物を触る人、ベンチに座ってサンドイッチや果物を食べる人、館内カフェからコーヒーやアイスクリームを持ち出して歩く人、カメラでフラッシュを焚く人、写真撮影中に背負っているバックパックが自分の後ろの作品に触っても気づかない人、携帯電話で大声で話す人、いろんな方がやってきます。見かけた範囲で立場上注意はしていますが、私たちがエチケットとして禁じている行為でも、異文化ではそうとは限らないことがあります。全くその行為に悪気がない姿がその証拠のような気がします。

コミュニケーションで言えば、最近は携帯電話の普及で以前より向上しています。自国語で質問を携帯で話し、その英訳を私に提示する、またその逆をして行き先を説明できたりするようになりました。何度かあったことですが、若いアジア女性が唐突に携帯電話上のフェルメールの絵を突きつける式の問い合わせには、暫し当惑しました。”Excuse me, please”とさえ言わず、無言のままなので、恐らく「これが見たいから教えて!」という意図と判断して地図に矢印を示したのですが、当然ながら”Thank you”の言葉もなく、終始だんまりのままでした。

また、総体的に日本人の学生は、英語で問い合わせができないのか、したくないのか、こちらから声をかけるまで知らんぷりでデスク前を二度三度します。明らかに日本人と分かるので、私から声をかけると破顔で、「良かった。日本語で話せて」となるパターンが多いのです。日本人カップルも、女性に問い合わせをさせる方が多いです。他のアジアの国からの人々は、単語だけ、片言でも英語を使ってコンタクトしてくるのに比べ、まだまだ英語を話すことも日本の国際化も高い壁なのかと残念に思う瞬間です。

デスクでの問い合わせ頻度No.1はご想像通り、トイレです。No.2は時間帯にもよりますが、飲食場所。あとは「1時間の滞在中に回れるコース」、「子供が楽しめる展示物」、ユニークなのは「今晩の夕食をとる店の紹介」など。MTAカード(公共交通機関共通利用カード)がツーリストに普及する以前は、離れたところにあるクロイスター別館への行き方を聞かれたら、バス往復分の小銭が必要なことを延べ、正面玄関のカウンターで両替できる旨などを申し添えていました。ご存知でしたか?メトロポリタン美術館では館内にATM設置があり、小銭両替も可能だと。そのほか、前述の授乳室、祈禱室など、訪問者の日常生活の必要性を考慮し、LGBTQなどへの迅速な対応など、全米のリーダー格としての立場にあり、常に最良を求められる美術館でボランティアとして働く以上、心地良い緊張感をもって毎回出向いています。

五番街に面する美術館

五番街に面する美術館

最後に

来年で同美術館ボランティア20年目を迎えます。これだけ長く継続できたのは、訪問者やスタッフを問わず、やはり人と出会う楽しさがあること、それからボランティアを大切にする美術館の体制が大きいと思います。仕事以外の社会参加ができて、自分が成長できる環境があることを誇らしく思いつつ、それが20年前の友人の一言で始まったことに不思議な縁を感じます。

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さて、昨年2020年3月にコロナ禍のため閉館し、昨年秋から再開した美術館ですが、感染率や収容人員数の面から、ボランティア復帰を遅らせ、当初9月としていたのが、2022年1月に、そしてオミクロンでさらに遅れそうな気配です。また、ボランティアたちが復帰した後は活動形態が変わると伝えられていますが、まだ本稿執筆中にはまだ詳細が発表されていなかったので、この原稿は2019年3月までの内容としてお読みいただければと思います。

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