コロナ禍に食卓で旅を振り返る ~イランのバザールの金物たち~
ようやく1年以上にわたるコロナとの攻防も終わりが見えはじめ、様々な活動が再開できる兆しが出てきた。私自身もワクチンを2回接種し、ずいぶんと気持ちが晴れやかになった。そろそろまたどこか遠く離れた土地、異なる文化圏に行きたい熱がうずいている。
コロナ禍の日常と旅の記憶
コロナの影響で2020年の3月に完全在宅勤務となって以来、出張も旅行もなくなり、この1年数か月(原稿執筆時点の2021年5月末まで)のほとんどの時間を家で過ごすことになった。
旅どころか買い物にすらほぼ出ることのない家にこもりきりの生活は、これまで気づかなかったベランダに来る野鳥の生態に気づいたり、自宅でできる趣味を広げてみたりと、日常を楽しむ機会にはなったが、物心ついて以来趣味欄には必ず「旅行」を含めてきた身からすると、語弊を恐れずに言えば窮屈だった。(もちろん、在宅勤務が可能な職場環境であったことはパンデミックの中でとても幸運だったとは思っている。)
そんな日々でも、日に三度の食事時だけは必ずやってくる。そんな時に、過去の旅先で購入した自分用のお土産は、時折非日常を思い出させてくれるきらめきとなった。私にとって旅の楽しみの一つは、現地の市場を訪れ、そこに住まう人たちがどんなものを食べ、どんな生活をしているのかを知ることにある。その関連で、旅先では日常使いできる台所用品や調味料を少しばかり自分へのお土産として買うことが多いのだが、これが期せずしてコロナ禍で威力を発揮した。
例えば真夏のニースで買った、サラダを混ぜるための木製の大きなフォークとスプーンを手に取ると、南仏のバカンス気分になってサラダ・ニソワーズでも作ろうかという気が起きる。ワイナリーで手に入れたばかりのワインをホテルで空けたくてサンフランシスコで間に合わせに買った土産物のワインオープナーは、思いのほか使い勝手が良くて「San Francisco」の文字が消えてしまった今も頻繁に使っている。中国の海南島で買った名産の白胡椒やフィレンツェで買ったイタリアのハーブミックス、テヘランで買ったサフランなどの香辛料も、買った先々の土地やその場での人々とのやりとりや町の匂い、食事を思い出すきっかけとなった。
市場めぐり
旅先で市場やスーパーマーケットを訪れると、見慣れない食材が並んでいたり、驚くような量で売られていたり、自分の常識を覆されることがあり面白い。
数年前に伊豆で地元の魚屋さんを覗いてみたら、その日大量に獲れた立派なサバを一尾30円で売っていて衝撃を受けた覚えがある。アルゼンチンで立ち寄った地元住民御用達のスーパーでは、横に並んだワインボトルがとても小さく見えるような大きなお肉がゴロゴロと売られていて、土地柄が感じられた。
しかし、見たことのない商品が多く並んでいた市場として印象に残っているのは、なんといってもイランのバザール(市場)である。八百屋では色鮮やかな新鮮野菜が並べられ、香辛料店では大袋に入ったハーブ類が所狭しと置かれていて、客は香りを確認しながら購入できる。豆類と言えば乾物か鞘に入ったもののイメージがあったが、そこでは生の豆そのものが袋一杯に並べられていた。
こうしたイランの店先でよく使われていたのが、香料やナッツをすくうスクープ(匙)である。把手がなく、入れ子式に重なる合理的な形状に惹かれ、これを我が家にも欲しいと思った。しかし、店頭にはたくさんあるものの売り物ではなく、なかなか購入できなかった。ようやく伝手をたどって手に入れたスクープは、現在我が家で大きいのは朝食のシリアル用コンテナに、小さいのは茶缶に入れて使っている。朝、スクープでミューズリ―をボウルに取り分けていると、ふとイランのバザールがよみがえってくる。そして、このコロナ禍で閉ざされたワシントンでの生活とはかけ離れたところにある人々の日常を思い出す。
イラン旅行
イランを最後に訪れたのは、もう10年も前になる。ちょうど5月の連休の頃で、新緑と公園に咲く薔薇が美しかった。標高1100メートルから1700メートルの高地に広がるテヘランの街は山脈に囲まれ、街全体が坂となっている。市場は坂の下の方、旧市街地の近くにあり、遠くに白い山の頂が見える。
市場はいつもごった返している。こうした雑踏が目につく坂の下の方に比べ、坂を上がると高級住宅街や公園が出てきて、緑と水が増える。公園には、女子学生が集まりピクニックをしていたりする。
16世紀からサファヴィー朝の首都として栄え、その賑わいから「世界の半分」とまで言われたシルクロードの楽園エスファハーンがあるのもイランで、テヘランからは飛行機で1時間ほどだ。観光の中心であるイマーム広場が美しいのはさることながら、その近くではバザールの一角で職人たちが彩釉タイルやペルシャ絨毯づくりに精を出しており、こちらも一見の価値がある。黙々と職人技を繰り広げる人たちの姿は見飽きない。
街を歩いていると、若者がバイクの後部座席にヒジャブを被った女性を乗せていて、思わず二度見してしまった。ガイドのおじさんに語らせると、古くから発展してきたこの街ではユダヤ教徒、ゾロアスター教徒などがイスラム教徒と共生しているし、互いに寛容だと言う。
ところで、エスファハーンの市場の一角では、様々な大きさの銅製の手打ち鍋を売っていた。ミルクパンくらいのサイズから業務用鍋のような大きなものまで店先に並べられ、値段は数ドル程度から。銅の美しさが目を引いた。そうはいっても銅製の鍋などそうそう出番はないし手入れが大変と思い購入を諦めたのだが、テヘランに戻ってから数日して、買わなかったのを後悔することになった。当時テヘランに住んでいた両親が現地で親しくしていた方が、お手製のカリンのジャムをお裾分けに持ってきてくれたのだが、それが自宅で作っていたジャムや市販のものに比べて味も見た目も秀逸だったのだ。決め手は「銅鍋で作ること」との由。その後、銅製の鍋を見るたびに、あの買わなかったエスファハーンの鍋を思い出すことになった。
そろそろまた旅に出られそうな様子になってきたものの、世界各地の市場に以前のような賑わいが戻るまでは今しばらくかかるのかもしれない。早くそうした時が来ることを願いつつ、それまでは、食卓で異国の香辛料や調理器具を手に取りながら旅を振り返り、世界とそこで生きる人々に思いをはせたい。
英国生まれ。幼少期は日本、イギリス、イラク、クウェートに在住。慶大法学部卒、東大経済学部中退、タフツ大Fletcher School of Law and Diplomacy修士。財務省で相続税・贈与税制担当、人事企画・働き方改革担当、広報室長などを経て、2019年より米州開発銀行勤務、ワシントンD.C.在住。