悔い改めと赦しの極限を世に問う小説「国宝」
久々に面白い小説に出会った。生い立ちも才能も違う2人の非凡な役者を描いた壮大なドラマ。義理と裏切りの渦巻く極道の世界から、歌舞伎の耽美な世界へと、読者の私はぐいぐい引き込まれ、どっぷりと非日常的世界を楽しませてもらった。
極道の父を持つ喜久雄は、父親の凄惨な死にざまから人生が大きく変わり、上方歌舞伎の大名跡半次郎に引き取られる。辛酸を舐めながらも、生まれながらの美貌と努力によって歌舞伎女形として名を広めて、三代目花井半次郎を襲名する。一方、喜久雄と兄弟のように暮らし成長した俊介は、半次郎の実の息子でありながら三代目半次郎の名を喜久雄に取られ、ある日、出奔してしまう。喜久雄と俊介はマスコミに作り上げられたスキャンダルに貶められ、挫折を経て再出発する。彼らを陰に陽に支える幼なじみたち、師匠と義母、下心で結婚した喜久雄の妻彰子、道を踏み外しそうになる喜久雄の娘や俊介の不肖の息子、それぞれが不運と幸運、成功と失敗を繰り返しつつ、喜久雄と俊介という2人の稀代の女形を世に送り出していく。
歌舞伎は、父親から息子へ綿々と芸を継ぐことで、長い歴史を築き上げてきた。名門の出自でないと決してスターになれなかったところ、実世界では、料理屋の息子として生まれた坂東玉三郎が、超一流の女形の地位を築いて人間国宝(注)となった。以後、歌舞伎界の傍流や外部から、才能ある若手俳優たちが続出し、TVなどに出演しつつ若いファンを増やし、歌舞伎を盛り上げている。それには変化の激しい時代に取り残されまいとする興行側の経営戦略が関わっている。本書でも、時代の流れをつかんだ花井半次郎が、名跡を息子でなく弟子に譲ることに始まり、欧州公演やオペラ歌手と競合し、同じ役を日替わりで2人のスター俳優に演じさせるなど、随所で歌舞伎の興行としての戦略が窺え、面白い。
この話の中には、様々な場面で「赦し」が出てくる。かつて陰湿に自分を虐めた先輩俳優が堕ちぶれた時、喜久雄はその先輩に深い恨みを抱いていたにも関わらず蔭で手を差し伸ばす。俊介を堕としめたことのある、興業でやり手の竹野は、温泉町でどさ回りをしていた俊介を発見し、その才能の再開花に奔走する。殺した相手の子を支え続ける元ヤクザが、晩年その罪を子に告白し赦される。不肖の娘、息子に振り回される親たちの赦しと支え。昨今の日本では、罪を犯して世間を騒がせた人物が立派に返り咲く例が、かなり多く見られるようになった。だが、極道の親を持ち、背中に彫り物がある人間が、その秀でた芸により国宝に認定されることがあり得るだろうか。作者は、「国宝」というタイトルに、悔いと改め、そして赦すという極限を世に問うている気がする。
本書は、長崎弁、関西弁が生き生きと交わされていて愉快だ。娯楽本としても、歌舞伎の入門書としても、また多くの登場人物の波乱万丈に満ちた人生が交錯するサスペンスとしても、十二分に楽しめる作品である。
注)「人間国宝」は俗称。正式名は重要無形文化財保持者。
カリフォルニア大学言語学修士。日本語教師養成科講師。夫の転勤に伴い、北京、ジュネーブ、DC、テヘラン、LA、ジャカルタなどに居住。2023年1月よりローマ在住。