理想のパートナー像: 私の恋愛事情

件のタイトルで、原稿の依頼を受けて、数日。いつもFacebookで赤裸々に46歳の恋愛事情は文字にしているので、楽勝!と思って書き始めてみた。が、案外筆が進まない。

お題を頂いたときは、たまにしかない、「あ、これ、もしかすると、もしかするかも」というちょっと予感のある出逢いにワクワクドキドキしていたときだったので、容易く書ける気がしただけなのかもしれない。

その出逢いも(Bumbleというアプリの出会いだったので)実際会ってみると、「なーんだ、全然違うじゃん」という、年に何度もある、「2回目はないかな」というものだったりして、
人間、恋に落ちるのは容易ではないな、と。まあ、もうだいぶ前にわかっていたことを再確認したのでした。

いま46歳で、35歳の時に、7つ年下の人と一度結婚したけれど、40歳になった年にお別れして、かれこれもう6年くらい、いろんな人と出逢い、別れ、はい次!を繰り返している。なので、デートだけは本当にたくさんしているのだけれど、どんなに場数を踏んでも、「理想のパートナー像」は掴めない。

Sacré Coeur, Paris 2015 © Nao Tase

Sacré Coeur, Paris 2015 © Nao Tase

もちろん自分と同じように海外生活の経験がある、とか、日本語以外の言語でコミュニケーション取れるとか、そこそこ学識があって、Yo-Yo Maとかブラームスとか、Juan Diego Flórez(ペルー出身のテノール歌手)とか言ってもポカーンとしないとか、インタビューでお会いした映画監督Wim Wenders に “What is your home?” と聞いたら、”My home is Donata(写真家である奥さん)and German language”という返答があった話なんかを面白がって聞いてくれて、真珠湾攻撃について熱く語っても引かなくて、そんなに高級な料理を好まなくても、たまに鼎泰豊とか、Woo Rae Oakとか行きたいよね、とか。でもなんだかんだ家で食べるお味噌汁とサバの塩焼きときんぴらがいいよね、とか、寝る前にベッドの中で見るLaw & Order SVUが最高だよね、とか。その時に隣にいてくれると怖い夢見なくて済んでいいんだけどね、とか。寒い冬は手繋いで歩きたいよね、とか。人前では無理でも二人っきりの時は very affectionateであってくれたら、とか。

Vila Madalena, São Paulo 2015 © Nao Tase

Vila Madalena, São Paulo 2015 © Nao Tase

本当に本当に、いろいろ思うことはあるんだけど、でも結局は私がお腹出して寝てても、疲れ果てて、流しのお皿が片付く前に寝ちゃっても洗ってくれたりして、休日になんの気も遣わずに仕事の電話かけまくってくる同僚たちにイラついていたり、銭湯でシャワー出しっぱなしにしておしゃべりしている20代の子達に説教しそうになっちゃたり、デートでご飯食べてもいまいち美味しくなくて、帰りのコンビニでポテチ買って罪悪感を感じながらも22時過ぎに食べちゃったり、稼いでいるときは来年の税金とか保険料とか考えずにお金使っちゃうから、後々請求がきてやべーって焦ったり、まあ、そんなわたしでも「こいつといると飽きないな」とか、「一緒にいると、なんだかんだ毎日楽しいよな」とか思ってくれる人がいいんだけれど、46歳の恋愛はそんな自分の全部を出し尽くすこともないまま、都合の良い時にご飯したり、天気が良ければ恋人ごっこで新宿御苑を歩いたり、車でサッと会いに来て、サッと帰って行ったり、仕事や洗濯や掃除の合間に、歯を磨くみたいに恋愛している感じ。

Cathédrale Notre-Dame, Paris 2015 © Nao Tase

Cathédrale Notre-Dame, Paris 2015 © Nao Tase

没頭できる恋愛には全然巡り合わない。

巡り合わないのか、巡り合おうとしていないのか。

いろいろ自分の「理想」を書き出してみると、結局のところ「初めて恋をした人」が自分の理想の人な気がする。あのときのあの、全身全霊で恋をしていたときの想いを、もう一度味わいたくて、彼というひとに当てはまる項目を勝手に「わたしの理想のひと」にしているような気もする。

若すぎる初めての恋、だったから、良いところも悪いところも全部さらけ出して、全部ぶつけ合って、ものすごく傷つけ合って、ものすごく愛し合った。一晩中携帯に出なかった彼への怒りのあまり、安いワイングラスを壁に投げつけたら、その頑丈さに、壁に傷がついた。彼はワイングラスを投げたことよりも、投げるに至った私の気持ちによりも、壁に傷がついたことに怒った。

すれ違いがすれ違いを生む、痛くて愛おしい恋だった。
そういう恋は20年以上経っても、色褪せない。

小さな恋は本当にたくさんした。映画の題材になるような小さいけれど素敵な恋はたくさんあった。

Seine, Paris 2015 © Nao Tase

Seine, Paris 2015 © Nao Tase

セーヌ川の畔で語り合ったり、キューバの街角のベンチで見つめあったり、夜の八坂の塔を見ながら手を繋いで歩いたり、パリから飛んだサンパウロで「暗室デート」を企画してくれたり、何時間も電話で話したあと、エンパイアステートビルの一階で待ち合わせた人もいた。京都とタンザニアをfacetimeで結び、朝ごはんと夜食を一緒に作った人もいた。

First Love

でもやっぱり一番忘れられないのは最初の恋。Netflixの「初恋」の宣伝で宇多田ヒカルのFirst Love が渋谷の街に流れまくっていることもあるけれど、あの時代を共に過ごしたひとはいつまでも You’re always gonna be my love だなあと思うし、I hope that I have a place in your heart too とも思う。

何が良かったか、と二十数年経って思い返すと、「思いっきり愛することを許してくれたこと」だと思う。私の重たすぎる愛情を彼は受け止めてくれた。本当にたくさんの時間を一緒に過ごした。数え切れない数の言葉を交わした。私は全身全霊で彼を好きだった。

そんな二十代の恋を思い出しながら、Netflixの「初恋」を観ると果たしてあんな風に心の底から自分を沸き上がらせてくれる思いがこの先あるのだろうか、と疑問に思う。あんな風に心を奪われるほど自分は再び誰かに心を開けるのだろうか。

撮影休みの金曜日。セリ鍋に生姜とネギをたっぷり入れた鶏のつくねを投入し、牛蒡とエノキと舞茸とともに、旭ポン酢をかけて、ゆずの皮を削って、七味をかけて頂いた。自分自身を労ること。自分としっかり向き合うこと。これが今、一番、いまの自分に必要な気がする。

veggies in France

veggies in France

Sex and the Cityで Samanthaが “I love you, but I love me more” と言って、年下の彼氏に別れを告げるシーンがある。

要するに。そういうこと。理想のパートナー像というのは自分の中の勝手な妄想。要は「理想の自分」になれれば、相手はいてもいなくても、それで良いんじゃないか、ということ。

自分を幸せにできるのは自分だけ。

というわけで、明日のお休みも、自分自身とじっくりデートしようと思います。


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