私にとっての理想のパートナー

いつも一緒

毎晩、私の腕枕に頭を乗せて、仰向けになり、すぐに寝息をし始め、いびきまでかき始める彼。彼を起こしてはいけないので、私は身動きが取れない。ソファーに座ってオペラや映画を観劇する時も、私の膝枕で寝転がって、うたた寝。外出から戻るとドアまで迎えに来て、私の留守中は寂しかったと言う。私の仕事中は、後ろで優しく見守ってくれている。

そんな生活が続いたのも2022年5月まで。腎不全で余命2年と言われた後も元気そうだったし、一時は奇跡的に血液の値も回復して医者に驚かれたくらいだった。でもやはり段々、やせ細り、5月頭には食も細くなった。「つ、ら、い。もう楽になりたい」とある晩、一言。翌日、病院に連れて行き、別れを告げることに。彼は私の腕に抱かれて、息を引き取った。覚悟していたことだけど、とても辛かった。あまりにも短い13年の命だった。彼はいつも一緒で、私の邪魔をすることもなく、私の生活の良きパートナーで、多くのものを与えてくれた。それは人間のパートナーが焼もちを焼くくらいだった。でもあの気ままさ、マイペースぶりは彼が猫だったから許せたのかも知れない。有名な陶芸家のお窯にお邪魔した際いただいた市価数十万のお茶碗を、彼が飛び乗って棚から落としてしまったときも、そこに置いた私がいけなかったのだと彼を責めることはできなかった。

得意のへそ天姿のレオ。この姿で腕枕して毎晩寝ていた

得意のへそ天姿のレオ。この姿で腕枕して毎晩寝ていた

彼との出会い

で、レオに嫉妬していた肝心の人間のパートナーはどうかというと、三十数年前に彼と出会ったことは私の人生において最高の幸運だったと思っている。彼のお蔭で、納得がいかない日本社会の価値観に基づいた女性像に、それまで無理して合わせて束縛されてきた苦痛から解放された。彼は徹底した男女平等論者(食事でも体重が違う私に同じ量を食べさせようとするのはちょっと困るのだが)であり、フェミニストだ。

彼はどちらかというとお芝居、私はオペラの方が好きだけど、二人とも両方とも大好きだし、美術館に行くのも、遺跡巡りなど旅行も、美味しいものも大好きだ。彼はお料理も上手で、私より芸術的な盛り付けをする。

毎夏訪れるサンタフェ。美術館で友人ヘレンと。過去2年は私は彼抜きで楽しむことに

毎夏訪れるサンタフェ。美術館で友人ヘレンと。この過去2年は私は彼抜きで楽しむことに

価値観も似ているし、彼の考えていることは大体、分かるので、時々言い当てて”How did you know?” と驚かれることもしばしば。私がアメリカ育ちではない以上、当然アメリカ社会について、彼から学ぶことはとても多い。特に、最高裁判決を含め、何かと法律が基盤となっているアメリカ社会で、弁護士の彼から解説してもらうことで理解できることが沢山ある。彼がいろいろな芸術関係の団体のボードメンバーをしているおかげで、私はメンバー向けのベネフィットを楽しみ、他のボードメンバーともお知り合いになり、世界が広がった。彼は聡明で、博識で、たゆまない向上心を持ち、正義感に溢れ、優しく、思いやりがあり、辛抱強く、寛大で、いつも私を支えてくれ、自由にさせてくれる。これ以上のパートナーは存在しない。私にはでき過ぎた人物だと思う。

寝起きやトイレを助けるケアギヴァーは来ているけど、97歳の母親をこの2年、付き切りで面倒を見ている彼の献身的姿には感心する。そのために母親が住む自分が育った西海岸で家に戻り、毎日、食事の用意をしている。記憶が段々、薄れている母親と毎晩、家族旅行のアルバムを見ながら、「これはどこそこに行った時の写真で、これは誰々だよ」と辛抱強く同じ説明をする。「こんな写真は見たことがない」と言う母親にとって、数分前に見た写真もまるで初めて見るもので新鮮だ。私は自分の母親をそのように面倒を見ることができるのか自信はない。でも、もし私が彼より先に記憶を失い始めたら、彼はきっと同じように私の面倒を見てくれるのだと思う。そして逆の場合には、私も同じようにしてあげたい。

では、私は彼にとって良いパートナーなのだろうか?私も西海岸に行って、一緒に彼の母親の世話を手伝ってあげたいのはやまやまなのだが、彼女が求めているのは自分の娘(彼の妹)でも私でもなく、何より愛する一人息子。私が行っても邪魔になるだけだ。私たちは同居していないが、今のように2年も離れたままだったら、きっとアメリカ人女性なら “What about me?”と迫るのではないかと思う。せめて私にできることは、彼の心の支えとなり、留守宅をチェックすること。一部転送されない郵便物を整理し、コンドミニアムの上階からの水漏れで被ったダメージ修理のためにメインベッドルームからすべてを客室に移動して業者を入れたり、庭師を呼び手入れしたり。日本の文化芸術が好きな彼にとって、日本という不思議な国、日本人である私は彼の理解を超える部分があり、興味が尽きないようだ。アメリカ生活が30年経った今でも時々、変な英語を話すことも苦笑の対象で、エンターテイニングみたいだ。

日本に住むなら、藁ぶき屋根の家屋で、お米作りをして、酒造をし、お蕎麦も植えて、お蕎麦を自分で作りたいと言う彼。まあよくNYタイムズとかに載っているような話だけど、冬の日本家屋の寒さを知らないからそんなことを言うのだ。私は東京生まれ育ちだから、まっぴらごめん。そもそも日本から持ち帰ってそば粉を使って、お蕎麦を作って、すごーく細く切ったつもりなのに、茹でたらフェトチーネみたいな太さになっちゃったのを覚えていないのかしら?二度目に作った時は、茹でたら水団みたいになってしまって、食べれなかった。大体、LA出身で、自分で雪かきもしたことがないのに、雪国に住む大変さを分かっていない。私はDCでコンドミニアムの入り口の階段や道路をたまに雪かきするだけで十分。

南仏に家を買うなら、葡萄畑を持ち、ワインを作り、オリーブ畑と無花果林があると良いなどと言う。でもね、葡萄もオリーブの実を収穫するのがどれかで大変なのか、分かっているのかな?車のタイヤがパンクしたら、私は自分で交換できるけど、彼はすぐにAAAを呼ぶことしか念頭にない。まったくDIY精神も技術もゼロの彼にとって、田舎暮らしはとても無理なのでは。と、現実的なことを私が指摘すると、「君はいつも僕の夢を壊してばかりだ」と文句を言う。

でもお互いに無理強いせず、過度に干渉せず自由なスペースを与え、好きなことを一緒に楽しむというのが、長く円満な関係が続いてきた秘訣のような気がする。これからも今みたいな関係が続いたら嬉しい。

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