大好きなミュージカルに自ら挑戦
留学中に初めて観たブロードウェイ・ミュージカル
初めてブロードウェイ・ミュージカルを見たのは大学院に留学中。留学先のIthaca, NYにあるCornell大学からマンハッタンまでは車で6時間ぐらいかかるが、マンハッタンに行く際はブロードウェイ・ミュージカルを見るようにしていた。当時観たのはLes Misérables,Phantom of the Opera, Cats,La Cage Aux Follesなど、だったと思う。
日本に帰国後も、出張や旅行でニューヨークに来るとミュージカルを観に行った。息子が5歳になると(5歳未満は劇場に入れてもらえない)彼も連れて行った。5歳の息子が初めて観たのはBeauty & the Beast。ディズニー映画で見ているからあらすじはわかっているはずだが、何といっても3時間のショーは5歳児には長過ぎるかもしれない。 飽きたらすぐ出られるように、一番安い席を買った。そうしたら、意外と最後まで真剣に見る。英語もわからないはずなのに、一向に飽きる様子もなく、最後までかじりつくように見ていた。ミュージカル好きは遺伝なのか。次にPhantom of the Operaに連れて行ってみた。怖がって泣くかもしれないので、またしてもすぐ出られるように一番安い席を買う。が、今度も大丈夫。最後まで楽しんでいた。恋に破れたPhantomがすっと消えてしまうラストシーンには「どこに消えちゃったの?」と不思議がっていた(あのシーンは大人が見ても不思議)。
高校1年で息子がオーディションに合格
その後、DCに移り住んでNYも近くなり、ブロードウェイにずっと行きやすくなった。アメリカに来て数年後、息子を中学校最終学年の夏休みにArt Summer Campなるものに入れた。本人は絵を描くつもりだったのに、私は(本人の許可を得て)Musical Theaterのクラスも入れておいた。そうしたら本人はそれなりに楽しんだようだ。そして、高校1年の時、ミュージカルのオーディションに合格、彼はUrine Townというミュージカルのキャストとして舞台に立った。それ以降もMcLean Community TheaterのEvitaに出演したり、高校の最終学年の時は、Kennedy Centerの舞台に立ち、Best Dancerの個人賞も受賞するまでになった。
それと同時に、彼のミュージカル好きも本格化し、2人でNYに行ってはいろいろなミュージカルを観るようになった。不思議なことに(というか、親子だからか)、好きなミュージカルが不思議と一致する。そういった中で、2人が共通して好きだったミュージカルはRent,Spring Awakening,Next to Normal。 この3つの共通点は、演出が斬新だったことと、ストーリーが人間の心理に迫って深みのあるところだろうか。音楽もいい。やはり見終わった後も耳に残り、口ずさむような名曲が入っているというのは大事な要素だ。
最近ではMatilda,Kinky Bootsなども楽しめた。我々はいったん気に入ると同じ作品を何度か観に行く。キャストが変わるので、いいミュージカルは何度でも楽しめる。おそらく一番多くみたのは、Les MisérablesとRentではないかと思う。今夏はNatasha, Pierre & The Great Comet of 1812を楽しみ、来春は今年のトニー賞受賞作品、Dear Evan Hansenを観に行くことになっている。この作品はいい曲もたくさんあるので、今からCDを買って聞いている。舞台が楽しみだ。Come From Away (9/11の後にカナダの小さな町に急遽行先を変更された乗客とその町の住民の交流がテーマ)も観たい。
近年のハイライトは、何と言ってもHamiltonをオリジナルキャストで観たことだろうか。これはHamiltonがようやくオフ・ブロードウェイからブロードウェイで上演されるようになったばかり、まだあの熱狂が来る前にチケットを手配したので、なんと通常価格で買えた。展開に無駄がなくて、ぐいぐい引き付ける迫力がすごい、完成度の高い舞台だった。内容が濃いのに展開が早いので、事前勉強していったにもかかわらず消化しきれなかった感がある。もう一度、観に行きたい。
息子から刺激を受けて自分も挑戦
というわけで、ミュージカル好きな息子とたくさんのミュージカルを気軽にNYで観ることができて大変うれしい。いろいろ観に行く一方で、密かに「いつか自分もやりたいなぁ」という野望は持っていた。実は大学時代にESSのドラマ部だったので、演劇の舞台にキャストとして出演した経験はある。が、ミュージカルはやったことがなかった。息子の舞台を見て「楽しそうだなぁ」と刺激を受けたのも事実だ。が、この歳になって初挑戦しようというのである。ちょっとハードルが高いので、数年掛かりで準備していくことにした。
まずは、とっつきやすいダンスから。いきなりジャズダンスはハードルが高いので、なんとなくベリーダンスから着手した。踊りの舞台にも出て楽しかったが「踊りだけではミュージカルには出られない、歌もうまくならないと」と思い、次は歌に挑戦。
しかし、幼少の頃に母親に「あなたは音痴だから人前で歌ってはだめ」と言われて以来、歌の才能はないものと思いこみ、別にコーラス部に入るわけでも、歌をちゃんと習おうとしたこともなかった。で、この歳になってはたして声が出せるようになるのだろうかと思いつつ、まずは日本人女性のコーラス部(JCSW)に入れていただいた。「ほかのコーラスの方々にご迷惑にならないよう、まずは正しい発声を身につけないと」と思い、個人レッスンを受けることに。イタリアの歌曲も習うようになり、また先生が褒め上手でいらしたため、「これは楽しい」と思った。先生に発声の訓練をしていただくと、出せなかった高音もだんだん出るようになってきた。いまはオペラのアリアを教えていただき、かなり真剣に勉強させていただいている。
ダンス、歌、演技修行 そして舞台デビュー
さて、ダンスと歌を習い、次はいよいよ演技の勉強だ。まずTheater Labという演劇学校でIntro to Actingというクラスから取り始めた。当然せりふが英語なので、英語にアクセントがある私がしゃべって通じるんだろうかというのが心配。アメリカ人に囲まれてActing classに入るというのは、結構自意識過剰になってしまった。
そして翌年、満を持して、その演劇学校が年1回プロデュースするミュージカルのオーディションに挑戦した。オーディションの内容は歌だけ(踊りは試されない)。で、とりあえずアンサンブルの一員に入れていただけた。演目はTitanic。あのDiCaprioの映画とはあらすじは違うが、結末は皆さんご存知の通り。私の役は、一番値段の高いsuiteに宿泊したお金持ち(実在の人物、彼女は生き残ります)。華やかな舞踏会のシーンや、救命ボートで脱出するシーンなど、盛り沢山で楽しかった。3-4役演じたので、3時間の舞台でコスチューム・チェンジは10回はあっただろう。舞台への入り口が4か所あったので、舞台裏を駆け回って次の出番のところまで移動しなくてはならず、体力的にもかなりチャレンジングだった。歌った曲は全部で10曲。その歌詞を全部覚えるのがまた大変。メゾは主旋律でなくハーモニーのパートなので、その旋律を覚えるのも大変。リハーサルは3か月、最後の1週間は衣装を着けて本番の舞台でリハをする。2週間の公演が終わると、はっきりいってぐったり、性根尽き果てるという状態になる。
でも、舞台に立ってスポットライトを浴びると気持ちがいいし、その3時間の間は役になりきってその人のストーリーを生きることができるし、観客の皆さんが一緒に笑ったり泣いたりするのを感じる一体感は、やはり経験してみないとわからない満足感がある。3か月のリハーサル期間を通じて、20数人いるキャストメンバーともリハの後にご飯を食べに行ったりして仲良くなる。
今年も再びミュージカルに出演した。演目はChess。今回も11回のコスチューム・チェンジと、10曲の歌の暗記をした上に、ロシア語のセリフがあったり、一部ベリーダンスをソロで踊るというシーンも付け加えられたため自分で振付を考えて練習したり、再びエネルギーを完全燃焼した。
10月末にはオペラの発表会もあるし、来年2月には再びミュージカルのリハーサルが始まるだろう。しばらくは忙しいスケジュールが続きそうだ。
津田塾大学学芸学部卒。国際基督教大学(ICU)大学院から米国コーネル大 学修士課程政治学科に留学、修士号を取得。第一勧業銀行、KPMGピートマーウィック(M&A部門)を経て、1996年ボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社。2002年に渡米、国際金融公社 (IFC) のシニアインベストメントオフィサーとして、開発途上国における民間プロジェクトの投融資に従事。バージニア州マクレーン在住。