楽器との出会い

ピアノ、フルート、ギターは私の趣味(自宅)

ピアノ、フルート、ギターは私の趣味(自宅)

私は音楽が大好きだ。それも楽器を弾くのが私の最大の趣味。ピアノ、ギター、フルート、そしてバイオリンも弾いたことがある。自分の演奏を「芸術だ」とは決して言わないが、「好きこそ物の上手なれ」と自負している。15年前、アメリカに来たときもギター、フルートを持参した。ピアノもすぐこちらで購入した。

また、私は「人寄せ」が好きで、日本から、またはこちらで知り合った人々を我が家に招待して楽しむ。そしておいしい食べ物を振舞いながら、私のピアノやフルートを披露する。ギターの伴奏で懐かしいフォークソングが始まると、みんなで歌いだす。何と楽しい一時か。そこでいつも質問されるのは「いつ、どこで習ったの?」だ。では、私がいつ、どのように楽器と出会ったのか、ちょっと変わった経験談をお話しよう。

まずはピアノ

その時私は小学6年生だった。当時、田舎の小学校にはアップライトピアノが1台しかなく、普段は講堂の角でホコリをかぶっていた。ある日の放課後、講堂へ行ったときピアノの音が聞こえてきた。「誰かがピアノを弾いている」。私はすぐ近寄っていった。すると一つ年下の順子ちゃんがピアニストのように弾いているではないか。「何てすごい、、、」。私は取り付かれたように見入り、聞き入ってしまった。曲はモーツアルトの「トルコ行進曲」だったと思う。順子ちゃんはお金持ちのお嬢さんなので、ピアノも習い事の一つだったのだろう。その時から私は何としてもピアノを弾きたいと思うようになった。しかし、我が家の経済状況を考えると「ピアノのお稽古」など夢のまた夢。

ピアノ弾きボランティア(Shady Grove Hospitalにて)

ピアノ弾きボランティア(Shady Grove Hospitalにて)

が、翌年、中学生になって初めての音楽の時間のこと、先生が「ピアノを習いたい者は放課後音楽室に来なさい。僕が無料で教えます」と言ったのだ。私は嬉しくて飛び上がらんばかりだった。言われたとおりバイエル教則本を持って毎日音楽室へ通った。若くてかっこいい先生に恋心も感じながら。家では教科書の最後のページに付いている紙の鍵盤を机の上において練習した。それを見た父親は私にオルガンを買ってくれた。本来、ピアノとオルガンの弾くタッチはまったく違うのだが、そんなことは問題ではない。嬉しくて夢中で練習した。ついに私は学校コーラス部のピアノ伴奏者になるまでに上達したのだ。後で分かったことだが、音楽教師がコーラス部のピアノ伴奏者を確保するため生徒に習わせたとのこと。その時手を上げたのは私含め5人だったが、4人は次々挫折して結局残ったのは私だけだった。

次はフルート

高校に入学して、楽しみにしていたのが部活動である。先に記述した音楽教師はフルートが得意で、時々音楽室で吹いていた。私は「何て素敵、高校に行ったら吹奏楽部に入ってフルートを吹こう」と決めた。そして高校入学、すぐ吹奏楽部に入部し、希望どおりフルートを担当することができた。当時の吹奏学部は人気が高く、部員は優秀な生徒ばかり50人以上で、ほとんどが男子。私は勉強そっちのけで部活動に没頭した。就職したばかりの兄が当時で3万円のフルートを買ってくれた。そのときの嬉しかった気持ちは忘れられない。気をよくした私は、ますます練習に励んだ。

高校3年の夏、吹奏楽部発表会が県民会館大ホールで開催され、私はフルートソロが多数あるドボルザークやスーザの難しい曲を上手に演奏することができた。発表が終了して控え室に戻ったとき、一人の中年男性が私に近寄ってきて「私は東京芸術大学の者ですが、うちの大学に来ませんか、推薦しますよ」と話しかけられた。驚いた私は胸を躍らせながらすぐに父親に相談。ところが「ダメだ、音楽家になったところで食っていけるはずがない。お前は看護婦か教師になれ」と、ぴしゃりと言われてしまった。当時怖い存在だった父親にはとても反抗できなかった。そうして私は看護と教育系の道に進み、今に至っている。

最後にギター

吹奏楽発表会がすむと高校生最後の夏休みが始まった。私は仲良しのクラスメートと二人で北海道旅行に行った。当時流行していた「かに族」スタイルで、料金の安いユースホステルを利用した若者旅行だ。ユースホステルでは夕食後オーナーを囲んで宿泊客のミーティングというのがあった。その日も20人くらいの若者たちが広間に集まってミーティングが始まる。東京から来たという2人の大学生が「僕らは歌を歌います」と、持参したギターの伴奏でフォークソングを歌ってくれた。ギターのアルペジオ(分散和音)奏法の前奏から「小さな~、日記に~、つづられた、、、、、」と悲しい恋物語が美しいメロディーにのって心に響いてくる。涙していた者もいた。私は「ギターってこんなに美しい表現が出来るんだ。」と、そのギター伴奏に魅せられていた。

そして高校2学期、我が校3年生の部活動は1学期で終了し、全員が受験体制に入る。でも、それまで部活だけに生きてきた私は寂しくて仕方がない。そんな時TVのNHK教育チャンネルで「ギター教室」、半年で『禁じられた遊び』が弾けます、という番組を見つけた。「これだ!」。すぐ本屋でテキストを購入し、親に中古のギターを買ってもらい、毎週1回30分、休まずTVの前でレッスンを続けた。受験勉強そこそこに。半年後、私は見事に『禁じられた遊び』をマスターした。全プログラム内容はクラシックギターの基本奏法だったので、あとは応用だ。当時、全盛期だったフォークソングやポピュラー曲の伴奏や弾き語りは、今でも容易に弾きこなせる。

ケアファンドMD図書室オープンでのパフォーマンス

ケアファンドMD図書室オープンでのパフォーマンス

あれから50年、今でも楽器を弾くのが大好き。暇があれば何か楽器を弾いて楽しんでいる。不思議なことに年齢を重ねた今も、私の演奏は進歩を続けている。特にアメリカに移り住んでの15年間は英会話より楽器演奏の方が遙かに上達したと思っている。


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