姉妹旅―ドイツ・ドレスデン編 ラファエロの「天使の絵」
「あなたの旅のベストパートナーは誰?」と聞かれたら、私は妹を真っ先にあげるだろう。いつの頃からか、年に一度は、姉妹で世界のどこかに旅行に行くことにしている。とはいえ、それぞれワシントンDCと東京に住んでいるため、毎回現地合流の旅である。よって、毎年私たち姉妹は、どちらからともなく、「今年はどこで会う?」という話になる。コロナ禍では合流難易度が増し、ワシントンDCか東京で会うことで精いっぱいだが、2022年はまたどこか別の現地合流の旅を再開したいと願っている。そんなことを考えながら、数年前の冬に行ったドレスデン(ドイツ・ザクセン州)への姉妹旅を思い出した。
私たち姉妹旅でよく取り扱うのが、芸術関連のテーマである。現地の文化、美術、音楽、舞台芸術に触れるというのが、ごく自然な流れである。ドレスデンは、妹の「ラファエロの天使の絵を見に行こう」という一言で決定した。このラファエロの天使というのは、肘をついている二人の天使の絵のことで、Tシャツやチョコレートなど、様々なところで使われているので、恐らく見たことのある方は多いと思う。しかし、この天使の絵は、厳密には、ラファエロの『システィーナの聖母』という絵の一部だということを、初めて知る方もいらっしゃるのではないだろうか。
ましてや、その絵が、ドイツのドレスデンにあることは、意外に知られていないだろう。というわけで、その絵を見ることを第一の目的に、ドレスデン行きが決まった。さらに、かのワーグナーも指揮をしたゼンパー・オパー(ザクセン歌劇場)があるので、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)のコンサートにも行こう、ちょうどアドベント(待降節)のタイミングなので、クリスマス・マーケットにも行こうということで、楽しみがさらに増えた。ここでは、文化・芸術をテーマに訪れたドレスデンの姉妹旅について、日本で生まれ育った私たちが、海外に興味をもつことになった原点を、この地で見つけたことに触れながら書いてみたいと思う。
クリスマス・マーケット
子どもの頃、本物のもみの木にオーナメントやライトを施した、海外のクリスマスの模様をテレビで見て、憧れていた。ヨーロッパでは、クリスマスの時期にマーケットが開かれると知り、行ってみたいと思った。ドレスデンのクリスマス・マーケットは、ドイツ最古、ドイツ三大マーケットの一つで、街のエリアによっていくつかのクリスマス・マーケットが開かれている。着いた初日から、滞在中いくつかのクリスマス・マーケットを訪れた。昼間と夜では、同じマーケットでも少し雰囲気が変わるのも面白かった。ひとつひとつのお店は、木材の仕切りやカウンターなどで囲まれていて、その素朴な感じが趣きがあって良かった。ドレスデンが発祥の地と言われる、ドライフルーツや、ナッツがたっぷり入ったシュトーレンを売っているお店も沢山あり、お店の前を通ると、競って試食のスライスを切ってくれる。
特に印象的だったのは、ホットワイン。マーケットのカウンターで頼むと、その年の年号入りの、クリスマス柄の小さな陶器のカップに注いで出してくれる。温かそうな帽子を被って完全防寒をしながら歩く子どもたちなどを横目に、ホットドックと、オレンジのスパイスが入ったホットワインの組み合わせを堪能しながら、クリスマス・マーケットの雰囲気を味わった。
ラファエロの天使とマイセン
肘をついて上を見上げる二人の天使の絵を最初に見たのは、家にあったお菓子の缶だったか、グリーティングカードのいずれかだったように思う。のちに、くるっとした上目づかいの、微笑ましい二人の天使の絵が、イタリアの巨匠ラファエロによるものだと知った。さらにだいぶたってから、その絵は『システィーナの聖母』という大きな絵の一部で、ドイツのドレスデンにあると知った。さらに、母が陶器の絵付けを趣味としていた影響で、陶器のマイセンが、ドレスデン近郊にあることも知った。そのため、妹が提案したドレスデンに行ったら、ラファエロの天使の絵の全体像と、マイセンの工房を是非見たいと思うようになった。
まず、第一のお目当ての『システィーナの聖母』は、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館にあった。絵画館はツウィンガー宮殿内にあり、ゼンパー・オパーも隣接しているので、私たち姉妹にとってはドレスデン滞在中のメインエリアとなった。この『システィーナの聖母』は、ラファエロの最後の聖母マリア像で、彼自らがひとりで描いたと言われ、ドイツ美術界に影響を与えた作品である。第二次世界大戦中ドレスデンは爆撃を受けたが、この絵は戦禍を免れた。第二次世界大戦後、ソ連軍により回収されたが、のちにドイツに返還された。これらの経緯からも、『システィーナの聖母』がとても重要な作品として扱われたことがわかる。
アルテ・マイスター絵画館の一つの部屋の中央に、その作品はあった。少し重々しい感じの部屋に入ると、ひときわ目立って展示されているその絵を目指して、多くの人々がここまで来ているという雰囲気が伝わってくる。これほど有名な作品でも、見物客が人だかりとなるほどではないので、聖母像と二人の天使の位置関係、さらには、聖母の周りにうっすら描かれている沢山の天使の顔を、じっくり鑑賞できた。アルテ・マイスター絵画館はそれほど大きくはないが、他にもフェルメールや、レンブラントなど見ごたえある作品がそろっていた。最後にもう一度、『システィーナの聖母』の部屋に戻り、心置きなく念願だった作品を眺め、絵画館を出た。
一方のマイセンの工房は、ドレスデンの中央駅から、列車で約30分ほどのところにある。世界に名だたるマイセンだが、町は驚くほど小さく、本当にここで良いのかしらと思ったくらいだ。姉妹で地図を頼りに駅から歩き続け、二本の剣のトレードマークが見えた時は、少しほっとした。工房の中では、匠たちがそれぞれの担当分野の説明をしてくれる。また伝統あるマイセンの歴史や作品の展示室や、マイセンの食器を使って食事を出してくれるレストランもあった。細やかな工程を経て作られた食器でいただくランチは、より美味しく感じた。
エーリッヒ・ケストナー博物館
ドレスデンの旅で、思いがけず、姉妹で子ども時代を思い出すことになった究極の地点は、このエーリッヒ・ケストナー博物館である。『エーミールと探偵たち』、『ふたりのロッテ』などで世界的に有名な児童文学作家、エリッヒ・ケストナーの作品と生涯を紹介する博物館で、住宅地の一角の小さな建物を博物館にしたような感じである。見学者はほとんどの展示品に手を触れることができ、自分のペースで楽しめる。
子どもの頃、岩波文庫のケストナーの作品が大好きだった。表紙の挿絵も懐かしく、初めて作品を読んだ子ども時代にタイムスリップしたような気分になる。当時、『ふたりのロッテ』を読んで、「外国のサマーキャンプって、期間がものすごく長いのね」などと、妙なところに感心したことを思い出した。実は、この旅を終えた後、もう一度それぞれの作品を読みたくなって、日本の家族に頼んで、わざわざ文庫本を送ってもらった。
このケストナー博物館で、複数の言語に訳された数々の作品を閲覧しながら、姉妹で笑った大発見がある。それは、ケストナーの『点子ちゃんとアントン』という作品について。小説の登場人物のアントンは、恐らくケストナー自身がモデルで、裕福な家庭で育つ点子ちゃんは、彼の従妹がモデルと言われている。子どもの頃は、「点子ちゃん」という名前がユニークだとは思ったが、それ以上のことは深く考えなかった。それが、このケストナー博物館で、この本の原題がPünktchen und Anton、英訳はLittle Dot and Antonということが分かった。つまり、本のタイトルにある登場人物の女の子を、ドイツ語では『プント(点)』、英語では『ドット(点)』と呼んでいるのだ。それを日本語では、『点子ちゃん』と訳していることに感銘した。翻訳者の苦労と工夫が感じられて、とても面白かった。子どもの頃に読んだ本を大人になって読み返すと、また違った発見があるものだ。
最後に
ドイツは以前何度か訪れたことがあったが、旧東ドイツに行くのは初めての経験だった。ドレスデンは、大戦中は何度も空爆にあった都市ということで、ベルリンの壁崩壊までは、その瓦礫がそのまま残っていたという。戦後、旧東ドイツ政府が国家の威信をかけて復興に注力したという、ゼンパー・オパー(ザクセン歌劇場)では、コンサートとバレエを鑑賞したが、その最高級の音響に感銘を受けた。また、聖母教会を含め、いくつかの有名なランドマークが再開発されたのは、まだ10数年前だという。そのような背景を踏まえつつ、訪れたクリスマス・マーケットや芸術を通じ、ドレスデンの旅は、素朴さ、伝統、ノスタルジックという言葉がキーワードとなって印象に残る。さらに、私たち姉妹は、日本で育った子ども時代から、読書、映像、絵画、音楽などの影響を受け、これらの芸術こそが、海外に興味を抱くきっかけとなっていたことを、ドレスデンの旅は気づかせてくれた。次の姉妹旅はどこで合流し、新たな発見ができるか、思いを巡らしている。
世界銀行グループ国際金融公社(IFC)上級人事担当官。メリルリンチ証券会社にてトレーダー、人材育成担当。その後、ジョンソン・エンド・ジョンソン、HOYAにて、アジア太平洋地域を拠点に、グローバル人事変革プロジェクト、人事マネジメント職に従事。2012年よりIFC勤務のため、ワシントンDC在住。東京都出身。米国リンチバーグ大学(BA)卒、ペンシルバニア大学ウォートン校(MBA)卒。