夫の失業と引越し

日本への帰国前日に撮影したバンクーバーの街並み

日本への帰国前日に撮影したバンクーバーの街並み

「ごめん、会社クビになっちゃった」ーー。
夫からSlackのメッセージで人員整理によって解雇されたことを伝えられたのは、2020年2月の始めだった。突然のことに焦ってしまった私は、まるでこの世の終わりのような、闇に突き落とされたような気持ちになった。家賃は払えるだろうか。生活はしていけるのだろうか。本当に大変なのは夫の方だが、そこまで頭が回らなかった。

解雇の顛末

私たち夫婦は、結婚後カナダのバンクーバーと東京でそれぞれ数年ずつ暮らしたのち、カナダの永住権を取得してバンクーバーで生活することを選んだ。夫は博物館などの展示物を制作する会社でプログラマーとして働いていた。解雇される直前まで、中国国内のテーマパークに展示するインスタレーションのプロジェクションマッピングを担当していた。バンクーバーのオフィスで現地と連絡を取りながら仕事をしていたが、ある日、現地での作業が中断してしまった。新型ウイルスの感染症拡大により、中国当局によってテーマパークが閉鎖されたのだ。夫が担当していた案件は他にもあったが、次々に無期限延期やキャンセルとなり、夫の仕事がなくなった。その結果、解雇されてしまった。

中国で新型ウイルスの感染症が拡大していることはニュースで知っていた。それでも、ニュースで見た段階ではまさか感染症拡大の影響で夫が失職してしまうなどとは思っていなかった。横浜港に停泊していたクルーズ船のニュースも、武漢を訪れたトロントの人がウイルスに感染したというニュースも、どこか遠い世界の話のように感じていた。2003年のSARSのように、しばらくすれば収束するだろうと思っていたのだ。

カナダ国内で広がるパンデミックの影響

しかし、それから1か月ほどすると状況は一変した。カナダの国境は封鎖され、スーパーマーケットからはトイレットペーパーやパスタが消えた。それまでマスクを着けることが一般的ではなかったバンクーバーの街中で、マスクを着けて歩く人を見かけるようになった。毎朝8時に首相が記者会見を行い、国の状況と対策を説明する。世界全体の感染者数は日々増えていく。さまざまなビジネスが休業を余儀なくされ、多くの人々が仕事を失った。カナダの失業率は一時、13.7%にまで上昇した。夫が解雇された直後は大きなショックを受けて悲観的になっていたが、こんなにたくさんの人が失業している状況では仕事がないのも仕方ないと感じるようになった。

幸い私の仕事には大きな影響はなかった。むしろ例年よりも忙しいくらいだった。フリーランスの翻訳者という不安定な立場だから、仕事があるうちにできるだけたくさん働いておこう。そう考えていつもより多めに仕事を請けていた。夫には失業保険が出ているし、私は働いているし、少しなら貯えもある。子供のいない2人暮らしだから、しばらくの間はなんとかなるだろうと思えた。

バンクーバーで住んでいた家の近くのビーチ

バンクーバーで住んでいた家の近くのビーチ

東京への引越し

そうこうしているうちに、縁あって夫が東京の会社で働くことになった。国土は広いが人口の少ないカナダの経済は米国に大きく依存している。他国との自由な往来が制限されているうちは、経済回復はさほど進まないだろう。そして、多くの人が集まるイベントなどの開催は当分の間難しく、夫ができる仕事はほとんどないだろうと考えた結果、日本に戻ることになった。もともと移住を希望したのは夫の方で、私はわりと消極的だった。だから日本に戻ることは嬉しかったが、それでもバンクーバーである程度の年月を過ごしていたから、環境が大きく変わることには不安があった。特に引越しのことを考えると憂鬱だった。ただでさえ国をまたぐ引越しは大変なのに、パンデミックの最中となると余計に気を使わなければいけない。

帰国が決まり、まずは航空券を手配した。パンデミック前はバンクーバーから東京まで毎日3本の直行便が飛んでいたが、どの航空会社も週に数本まで便数を減らしていた。運行状況は不安定で、航空券を予約してからしばらくして航空会社の都合でフライト予定日が変わってしまった。帰国後14日間の隔離期間は、ありがたいことに叔父が所有するマンションに滞在させてもらうことになった。衣類や本、食器など、スーツケースに入らない引越し荷物は日系の運送会社に依頼して発送することにした。大きな家具類はすべて売ったり、譲ったり、貰い手がいないものは処分したり。賃貸物件の解約、銀行やクレジットカード類、各種サブスクリプションサービスの解約など、さまざまな手続きも行った。「コロナ対応」で人手不足やプロセスの変更などがあり、あらゆる作業に通常の1.5倍ほど手間がかかるように感じられた。自分たちが生活を送る上で張り巡らしていたあらゆる根を引き抜いていく作業に、エネルギーを吸い取られていくようだった。

無事に帰国し、5月には新生活を開始して半年を迎える。まだまだ都内の感染者数は減らず、ワクチン接種も進んでいないので、実家の両親にはまだ会えていない。それでも、嵐のような引越し作業を乗り越え、また少しずつ東京での暮らしに根をおろし始めている今は、不安よりも安堵の方が大きい。

この経験から思い知ったのは、生きていると急激な変化に直面することがあり、変化に動じず臨機応変に対応することが重要だという点だ。これは、出身国を離れて長い間外国で暮らしている人にとっては目新しい話ではないかもしれない。私自身もこれまで想定外の出来事にはそれなりに直面してきたし、適応力も低くないつもりでいた。それでも最近は以前よりも大きな変化が苦手になってきているように感じる。10代や20代の頃と比べると新しい環境に適応するのに時間がかかる。特に経済的な状況が大きく変わると、なかなかすぐに慣れることができない。備えあれば憂いなしとは言うが、この先起こり得るありとあらゆる変化や問題を想定し、先回りしてすべてに備えることなんてできない。もちろんできることは準備しておくに越したことはないけれど、まだまだ予断を許さない状況で、先行きが不透明な世の中を生き抜くため、多少のことでは慌てず柔軟に考えられるようにありたいと思う。

出場予定だったバンクーバーマラソンがパンデミックで中止になってしまい、バーチャルレースでフルマラソンを完走した私

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