在パリOECDに今後期待すること

OECD本部 シャトー・デ・ラ・ムエット ©OECD

OECD本部 シャトー・デ・ラ・ムエット ©OECD

はじめに

パリにはOECD(経済協力開発機構)の本部がある。16区の閑静な住宅街にある、ルイ15世が狩猟ロッジに使っていたシャトー・デ・ラ・ムエットが本部になっている。といっても、新コロナでこの一年間、職員はほぼ完全にテレワークで仕事をし、会議もオンラインで開催されているので、ゴーストタウンの様だ。私のアパートはOECD本部の目の前にあるので、その閑散とした異様な雰囲気は直接感じられる。最寄りのメトロの駅ラ・ムエットやマルシェや楽しいショッピングで有名なパッシーに少し足を伸ばしても、普段は各国代表で賑わっているブラッセリーやカフェも数か月閉鎖されており、新コロナの終息後は果たして復活してくれるのか心配になる。

そのOECDは15年ぶりに新しい事務総長を迎える。私はその直後に、23年間の勤務を終えて退職する。この転換期に及んで今後期待することなどの所見を少し述べたい。

OECDの役割

OECDは第二次世界大戦後、欧州復興のために、経済開発政策の共有と国際的な基準作りを目的に、マーシャルプランの一環として設立された。その後、欧州外の先進国にも拡大され、日本も1964年に加盟した。経済開発といっても、扱う政策分野は多岐に渡り、軍事や文化以外は大概扱っている。

最も知られてるのは、PISAという高校生の共通学力テストであろう。最近では非加盟国を含む80か国が参加し、アジア諸国がトップの座を占めるため、日本のメディアでも注目される。その他、多国籍企業の租税回避防止、デジタル化経済、AIの倫理的利用、オートマ化やロボット普及による影響など、科学技術関連政策でも知られているかもしれない。

映画「プラダを着た悪魔」の中で、メリル・ストリープ扮するファッション誌の編集者が、アン・ハサウェイが演じる新米社員に、「あなたはファッションと無縁と思っているかもしれないけど、今着ているその青いセーターは、デ・ラ・レンタやサン・ローランがデザインした服のセルリアンブルーが元で、その後8人のデザイナーによって普及され、デパートで売られる様になり、あなたが掘り出しバーゲンで買ったもの。つまり、我々があなたのために選んだのよ」と言うシーンがある。

OECDでの政策議論も似たようなところがある。疎遠な組織で難解な議論をして、自分とは縁がないと多くの国民は思うかもしれない。しかし、消費税が上がり、年金が減らされ、輸入チーズやワインの価格が下がり、行政手続きがデジタル化で便利になり、交通機関が民営化されてサービスが向上し、保育園の時間が延長され、看護師や介護士の給料が上がり、電力会社が選択できるようになったとしたら、そのような政策がOECDで議論ないし推薦され、それを各国政府が考慮に入れたという可能性がないとは言えない。もちろん、ファッション誌はいくらでもあるのと同様に、他にもIMF、国連、欧州連盟など政策議論をする場は数多くある。また、例えば日本政府のコロナ対応全国民10万円ばら撒き給付金など、OECDのスタンスとは全く関係なく、国内政治で政策が決定及び実施されることも多い。

地域開発に関するOECD閣僚会議 ©OECD

地域開発に関するOECD閣僚会議 ©OECD

出張での経験

私の専門分野は、先進国や世銀のような国際金融機関が発展途上国に対して行う開発援助政策研究や、政府開発援助(ODA)のデータ分析である。仕事の内容は説明してもつまらないだろうが、世界中に出張して起こったハプニングは特記に値するかもしれない。

ロンボック 島で山羊を貰う前の笑顔

ロンボック 島で山羊を貰う前の笑顔

ドイツの援助審査でインドネシアのロンボク島に行った時は、村人に山羊をお土産に貰って困った。欧州共同体の援助審査でボリビアのラパスへ行った時は、飛行機を三つ乗り継ぎ、スーツケースは一週間後に戻る時にやっと届いた。日本の援助審査で北京に行った時は、雪で出国できず、英国の役人たちと雪の中の紫禁城を観光した。

しかし最も忘れられないのは、カナダの援助審査関係の会合に参加するためにカルガリーに到着し、早朝起きてテレビをつけたら、飛行機二機がニューヨークの世界貿易センターに突入するシーンを見たことだ。「へー、カナダ人もリアルな番組を作るなあ」と感心し、30分してどの番組も同じような放送をしているとわかり、やっと事態に気づいた。その後カナダ中の空港が混乱状態に陥り、とにかく東へ東へと乗り継ぎ、漸く一週間後にパリに戻ったという出張だった。

組織の弱体化

そのOECDだが、近年は弱体化されている。というのは、この15年間、メキシコ出身の事務総長とその首席補佐官が3期にも渡って統治し、完全に組織を私物化した背景がある。つまり、先進国の集まりであるはずのOECDに、ラテンアメリカ系の支配体制を浸透させたのだ。縁故主義はもちろん、官房管轄の部署は徐々に10倍程膨らみ、主要なポストにはラテンアメリカ系、イベリア系、ラテン系、フランス政府系などが任命され、トップに忠誠をつくした職員はどんどん昇進していった。さらに補佐官は女性優遇を極限にまで徹底し、経験不足の女性を多くのポストに就かせた。こうしてG7国に有無も言わさず、人事権を末端まで牛耳って帝国支配を確固たるものにした。これで組織が強化されていったならば問題はなかったが、専門性や経験を軽視した人事体制は、優秀な職員との亀裂から来る流出や早期退職を促し、有能な外部候補者に避けられ、成果物や政策対話の質の著しい低下を招いてしまった。

OECD会議センター正面口 ©OECD

OECD会議センター正面口 ©OECD

また、管理体制とは無関係に、世界経済の変化により、組織の存在意義は問われ始めている。中国、インド、ブラジルなどの大国はメンバーではないため、現加盟国の経済力は世界経済の半分以下でしかない。その中で、今後の組織及び世界にとっての最大の難題は中国とどう共存するかである。さらに、格差拡大で各国が右傾ポピュリスト化される今日、末端の人々や女性を包括して、ウェルビーングや気候変動も考慮に入れたポストコロナの経済復興をどうやって実現するか、というのは喫緊の課題であろう。

OECDは相変わらず欧米中心であり、社会主義的イデオロギーを超えた知見をもって組織を先導する指導者や専門家がいなくなり、具体的な方向性、政策分析や勧告内容となると、不適切なものしか提供できなくなった。開発協力の例でいえば、中国が一帯一路で世界を覇権下に統治するかと危惧される中、環境や社会も配慮した持続可能な発展につながる政策対話を行うよりも、加盟国の僅かなODAをいかに水増しして報告できるか、という内向きの議論に終始している。

コロナ禍による国際機関の存在意義

この一年間コロナ禍によってテレワークが基本となり、職員の多くはパリを脱出してフランスの田舎、あるいは本国に戻って仕事をするようになった。先月採用パネルに参加したが、他の面接官はニュージーランドとブラジルにおり、候補者もオーストラリア、コロンビア、カナダと世界中に散っていた。また、閣僚会議を含めほとんどの会合はバーチャルに開催されるようになり、わざわざ各国代表者がパリに集まる必要がなくなってしまった。すると、他の国際機関と同様に、OECDの職員でいることやOECD開催の会合を持つ明確な意義が薄れてくる。これが、今後様々な政策分野における国際基準作りに影響を与えない訳がない。この前代未聞の危機をどう乗り切り、喪失してしまった組織の価値をどう挽回するかは、6月に着任予定のオーストラリア人の新事務総長にかかっている。

自宅の庭に餌を食べに来た「ムース」

自宅の庭に餌を食べに来た「ムース」



OECD本部前の私のアパートには庭がある。自宅で過ごす時間が長くなったせいか、鳥類学者になりたい次女は、赤いコマドリ一羽と黄腹シジュウカラ二羽を手なずけ、「ムース」「ヤイ」「イッピー」と呼んで、掌の上で餌を与える様になった。それを見ていると、これから大人になっていく娘たちや次世代の若者の未来のために、平和な世界と自然と調和した環境が末永く続くようにと切望せざるを得ない。そのために、OECDの役割はまだあると期待しているし、退職しても別の形で自分も貢献し続けるつもりである。それが母親と社会人としての義務であると信じている。

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