私の特別な場所:多彩な仲間との読書会

中勘助著『銀の匙』3冊(左から2019年発行安藤光雅の挿絵付、1935年第1刷から続き2018年第36刷の文庫本、2015年発行翻訳版)

中勘助著『銀の匙』3冊(左から2019年発行安藤光雅の挿絵付、1935年第1刷から続き2018年第36刷の文庫本、2015年発行翻訳版)

明治の子伯母の仏心伝はりぬノンジャパニーズの読書の友に

あなた方の文化に触れて穏やかで滋養の多い時を持てたと

これは、私が参加している読書会での様子を聞いた日本にいる母が詠んだ二首である。今年で16年間継続しているワシントンDCでの読書会で、私は、日本の文学を紹介したいと思案していた。そこで母からの提案もあり、中勘助の『銀の匙』(注1)を薦めることにした。しかし昨年6月の読書会の日が近づくにつれて、母も私も、アメリカの現代人に、明治時代の生活様式や伝統がこと細かに描写された風景の中で、ゆっくりと流れる少年の日常を楽しんでもらえるかどうか、落ち着かない気分だった。正直なところ、私自身明治の事柄、言葉遣いなどに疎いところがあり、一昨年出版された挿絵付き本に助けられながらも苦労して読んだからだ。ところが、オンラインでの読書会が始まると「待ってました」とばかりに、盛んに飛びかう感想は、伯母が少年にむける愛を深く読み取るもの、自分の幼児期または、親、伯母としての体験と重ね合わせ同感したり省みたりするもの、少年の繊細な心の成長を分析するものなど、小説を熟読した故に出てくる見解ばかりだった。翻訳版(注2)の親切な注釈に助けられたのもあるが、改めて、様々な文学を読みこなしている読書会のメンバーがもつ、時代・文化・言語の壁を超えて、未体験のものを理解する想像力、そして異なるものを積極的に享受し、楽しむ姿に心を打たれた。私たちの心配など全くの無用で、会の後日、母宛てにメンバーの一人が、冒頭の二首目にあるような言葉をくれた。

Inter-Generational Multi-Cultural Book Club

ワシントンDCに来て間もなく、友人の友人から誘われて参加し始めた読書会。 2005年から、仕事や私事でワシントンDCを離れた年月は少なくなかったので、細々ではあるが継続してきた。2019年末の恒例ホリデーパーティーでは、当初から参加しているメンバーが、サプライズで今まで読んだ全ての本の表紙を印刷して、テーブルの上に広げて待っていてくれた。これまで振り返ることもなかった会の歴史に感慨深くなると同時に、本と共によみがえる共通の思い出、また個々の人生の歩みも思い起こされ、それぞれが心を熱くした。会としては、創立以来160冊をも超える本と出逢ってきたことになる。

2005年から2019年までに読んだ全ての本の表紙。皆で記憶をたどりながら何年の何月に読んだか、思い出話と共に年月順に壁に並べていった

2005年から2019年までに読んだ全ての本の表紙。皆で記憶をたどりながら何年の何月に読んだか、思い出話と共に年月順に壁に並べていった

この会の創立者は、私が最も尊敬する人物の一人である。私は彼女のことを、ひとりの人間が世の中を大きく変えることができるということを、生き様として身近でみせてくれるいわば、「生きる伝説」のような方だと思っている。それは、彼女が、社会の末端にいる人々の声が届かないシステムを覆し、コミュニティー全てのグループを集結し、相互理解と意見交換を促し、国レベルの政策に反映させてきた人だからである。この読書会は、そんな彼女の理念が元にある。創立前、彼女は親友がワシントンDCを離れるのをきっかけに、知的な交流場所を求めていくつかの読書会を見学したというが、メンバーの価値観、思想が似たり寄ったりで面白みを感じなかったという。ならば、自分で、年齢層を広くして、多様な文化を持つ仲間を集めて創ろうと始めたのだ。

この構成は現在でも変わらず、メンバーは広く20代から70代。白人アメリカ人、アフリカ系、アジア系アメリカ人、マヤ系先住民族出身、そして私のような非アメリカ人など(注3)。職業も政府機関管理職、舞台役者、非営利団体職員、大学院生、専業主婦、元高校教師、弁護士、医療従事者など多種多様だ。思想、宗教も様々である。メンバーを女性に限ることで、議論に集中でき、お互いを高め合いながら友情をはぐくみ、知的な成長を目指したいという意図がある。わずか4名のメンバーから始まり、今では、14名が定期的に参加している。そして、いつからか、仲間内で命名した読書会の名は、Inter-Generational Multi-Cultural Book Club 略してIGMC Book Clubとなった。

読書会の決まりは ただ一つ。自分が読んだ本を推薦すること。ジャンルは比較的自由だ。古典ものから現代まで、話題の本、自伝、歴史物、海外小説など様々である。メンバーによって厳選された書物は、もちろん自分では手に取らないような題材もあり、未知の世界へと運んでくれる。

読書会の場所は、本の推薦者の自宅。推薦者兼ホストは夕食をふるまいながら、読書会の進行役もこなすという仕組みだ。そこでは、多文化を背景に持つメンバーが集まるこの会らしく、ホストのお国自慢の料理や代々受け継がれた料理、時には、本にちなんだ食べ物も味わえる。例えば、ユダヤ人が主人公の小説の時は、ユダヤ伝統料理のブリスケット(Brisket)をいただいた。10年以上たった今でも、よく話題にしてくれるのが、吉本ばななの小説『キッチン』を読んだときに、私がもてなした、文中に描写されている、かつ丼である。メンバーの一人は、「口にしたことのない日本のこの食べ物を味わって、五感で感じた類似体験ができて、より登場人物の気持ちに近づけた気がする」と言ってくれた。

メンバーの家族の参加もこの会の多様性をより豊かにしてくれている。メンバーと同居する90歳を超えたお母様が遠い記憶をたどり、自分の渡米、移民体験を本の内容と重ねて語ってくれたのには誰もが宝のような貴重な体験だと感謝した。女性のみとは言ってはいるが、この題材は夫の方が詳しいからというように男性が参加するときもある。

人種差別問題をめぐって:書物を通して振り返り、行動へ

ワシントンDCらしく、普段から政治の話になると止まらない。特に選挙前や、政治の重要なニュースがあるときは、本のことを忘れてしまうほど熱くなる。2020年は、誰もが居ても立っても居られない心境であった。ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動、人種差別問題に対する抗議を目の前にし、この会でも共に考える場をもったらどうだろうかと、数人が呼びかけた。

通常は、年頭に各月の本を決定して読んでいる。しかし、今しなければいけないことを誰もが熟知していた。予定していたその月の本を翌年に繰り越し、話題になっていた『White Fragility』(注4)を読むことにした。そして、読書会創立以来初めて宿題が課された。まずは個人レベルで、この本を読んだことで自分がもつ「特権」(privilege)、無意識にしている差別、偏見に気づきがあったか、それらを改めるには具体的にどうしようと思うか。次に、自分が属するコミュニティー(地域、家庭、職場、趣味の場など)にある制度・構造的人種差別(systemic racism)を見極め、より公平で差別のない社会にするために自分が起こすことができる行動は何か。そして、今年一番初めの本には『Caste』(注5)を読むことにした。この読書会の日は、2021年1月6日の議事堂襲撃の数日後だった。私たちは、この本がこの事件の真相を理解するのに多くの問題提起をしていると考え、我々が望むアメリカに導くためには何をするべきか議論し、各自が学びを行動に移していくことを誓った。

議論の中で、私も日本国内外にある人種差別問題、体験を話し、振り返ることで多くを学んだ。彼女らの差別体験を聞いていると、同じ人種や肌の色、宗教、社会的ステイタスのカテゴリーに属していても、生い立ち、生まれ育った地域、州、または時代によって受けた痛みは全く違うことがよくわかった。私たちは、書物からだけはなく読書会の仲間から、様々な境遇での辛い体験を知り、そこから生まれた人生観、世界観を知ったのだ。そして、誰もが世の中を変えていくための行動ができるということを確認した。偶然とはいえ、ワシントンDCで生活している私も、多民族多人種が共存する「術」を模索する今日のアメリカで その複雑な社会構造と根深い不平等問題は他人事とは思えずにメンバーと共に苦悩した。

特別な場所:弱みもさらけだせる仲間と知的な刺激

この読書会は友達の輪が広がってできているが、この縁がなければ、なかなか出逢うこともなかったのでないかと思う人と人とが繋がる。本について語っているうちに、それぞれが自分の素性も表し、お互いを自然と受け入れてきているように感じる。メンバーの多様性ゆえに、本の解釈、意見の違いは出るが、それを良しとするから、緊張感はあっても否定や批判は生まれない。何より心地よいのは、一人ひとりが人としての温かみをもっていると感じるからである。無意識のうちに安全地帯と感じるのだろう、私も他のメンバーも、自分の葛藤や弱さをさらけ出していることがある。上記に触れたセンシィティブな人種差別問題についても、上辺だけでない掘り下げた会話が可能となったのは、この読書会の特性が生かされているからだろう。

今まで、月一の読書量に追い付けない、またはワシントンDCを離れるなどの理由で、何度か退会を考えたが、必ずや、メンバーが引き留めてくれた。勤務先のアジアやアフリカからでもワシントンDCでの活発な議論の様子を読めば、考える題材を得て、刺激を受けた。何度もワシントンDCを離れては、戻ってきたが、振り返れば、変わることなくこの仲間が温かく迎えてくれた。有り難いことにメンバーの数人とは、日々の、人生の苦楽を分かちあい、助け合う仲となった。ワシントンDCにいるからこそ出逢えた多彩なメンバーとの読書会、一人ひとりの温かみに触れながら、文学を味わい、社会意識の高い仲間と様々な題材を考察し、豊かな時間をすごす、私の特別な場所である。

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注1. 中 勘助『銀の匙』岩波書店2018年第36刷発行 
注2.Naka, Kansuke. (2015) The Silver Spoon, Memoir of a Boyhood in Japan. Translated by Sato, Hiroaki. Berkeley, California: Stone Bridge Press.
注3.多民族多人種の表記は様々である。黒人でもアフリカ系、中南米系、カリブ海系とあるように、白人にも細かな分類が適切かもしれない。同様、アジア系にも東南アジア系、南アジア系などがある。ここでの表記に一貫性がないようだが、詳細を書くのはあえて控えたい。
注4.DiAngelo, Robin. (2018) White Fragility: Why It’s So Hard for White People to Talk about Racism. Boston: Beacon Press.
注5. Wilkerson, Isabel. (2020) Caste: The Origins of Our Discontents. New York:
Random House.

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