昔を振り返って得た気づき

復元したスライドの一つ。北アルプス雲ノ平からの帰り

復元したスライドの一つ。北アルプス雲ノ平からの帰り

人生、主婦または仕事をして、何十年か生きてくると、頭の片隅にはあるものの、時間のある時に、と後回しにしているものが誰にもあるのではないだろうか?私には常にある。その中の一つに、高校1年生、2年生の時の文化祭で上映したスライドがあった。

私は勤めていた外国銀行を9年前、50歳の時に退職した。大学卒業後、ずっと勤続していた銀行で仕事も順調であったが、時間に追われるのが悩みであった。40歳を過ぎた頃から50歳で区切りをつけようと決め、10年をかけて退職計画をし、実行した。

退職してすぐに、横浜市に住む留学生の日本語サポートをすることになり、また中学高校の同窓会の会計を引き受け、同窓会のコンサート、バザー等のイベントを企画するうちに、母校の評議員の任もいただき、退職後の生活は退職前に思い描いた程自由ではなかったものの、自分なりに充実していた。

高校の文化祭スライドをデジタル化

話は戻って、高校1年生、2年生の時の文化祭で上映したスライド。私は子供の頃から横浜に住み、中学高校と地元横浜の私立の学校で学んだ。クラブはハイキング部(登山部)に所属、元祖『山ガール』として自然に親しんでいた。高校1年生の時は夏合宿で北アルプスの奥穂高、2年生の時は北アルプスの雲ノ平を訪れ、それらを紹介するスライドを学校の文化祭で上映した。

その頃のスライド上映と言えば、スライドを一枚一枚映写機にセットして上映、BGM音楽とナレーションはそれぞれカセットテープを2台のカセットデッキで再生するというもので、スライドを扱う人とカセットを扱う人が息を合わせて機械をあやつり上映するというアナログ&手作り感満載のスライド上映だった。

そのスライドの一式、スライド300枚強、BGM音楽、ナレーションのカセットテープのセットすべてが私の手元にあり、荷物整理をするたびに、このまま保管だけをしていてはいけない、デジタル化しなければと思いつつ時間がないと手を付けずにいた。

退職後もこのスライドのデジタル化が頭の片隅にあったものの、あっと言う間に4年近くの時が経っていた。このままではいけないと、意を決し、デジタル化にとりかかった。スライドをデジタルの画像に変換、音楽とナレーションもデジタル化すれば、3つを合わせてムービーメーカーで動画にできる…頭の中ではそんなに困難な作業ではなさそうに思えた。

ところが、はじめてすぐに、甘かったと知ることになる。40年近くそのままにしていたスライドの4分の1程が色落ちしていて、美しい山の色も空の色も花の色も悲しいことにセピア色っぽくなっていた。それならば自分のアルバムの写真からスキャンしようと思ってみたものの、アルバムにはそんなに多くの写真はない。長年、そのままにしていたことを後悔しつつ、一緒にスライドを作成したメンバーに声をかけて当時の写真又はネガフィルムの有無を聞いたところ、一人が奇跡的にネガフィルムを数本保管していた。

上高地から穂高をのぞむ

上高地から穂高をのぞむ


仕方ないと、ネガからデジタル画像に変換する機械を買った。ネガを送ってもらい、今度は、その中からスライドにしたものを探し、300枚強のスライドのうち20枚程を残して、デジタル化した画像を作成した。残る20枚程も、そのままデジタル化をして使うことにして、今度は、デジタル化した画像のゴミを取り、色を調整する作業をした。スライドによっては1枚に10分、20分かかるものもあり、終わらない作業のようにも思える日々が続いたが何とかできた。

その後、カセットテープをデジタル化、ムービーメーカーのアプリケーションを使って、スライドとBGM、ナレーションすべてを合うように調整してそれぞれ約28分、35分の2つの動画が完成した時には数週間が軽く過ぎていた。

いよいよ上映会

出来上がった動画は素人作品ではありながら、青春の想い出を凝縮したものとなった。当時のスライド作成メンバーに見せたところ思った以上に好評で、折角だからと、当時の合宿参加者や部員の希望者に配ることにし、パソコン版、DVD版、ブルーレイ版を作成し上映会を企画した。

上映会

上映会

上映会

上映会


上映会の会場は、横浜の開港記念会館にした。「ジャックの塔」の愛称で呼ばれている開港記念会館は、1917年に完成、関東大震災時に全焼した後復元され、国の重要文化財に指定されている建物で、母校にも近く、想い出の動画を上映するには絶好の場所だと思った。

横浜開港記念会館

横浜開港記念会館


当時のメンバー(顧問の先生、上級生から下級生)は全国各地にいるものの、連絡先を調べて声をかけてみたところ元顧問の先生3人、元部員22人集まった。顧問の先生方は70代、80代になられていても、当時のことを懐かしそうに話され、あの頃まだ子供であった私達を引率して貴重な経験をさせてくださったお礼を言うことができた。遠方に住んでいて上映会には来ることができなかった方々からも手紙をいただいた。

その後……

長年、しなくてはいけないと思っていたものの一つをやっと実行できたと肩の荷が下りた気持ちがあったが、それ以上に共有した想い出が第2の人生を歩む年代にさしかかった私達にとってかけがえのないものであることに気付かされた。会場で使用した開港記念会館のステンドグラスの工房と、母校の礼拝堂にあるステンドグラスの工房とが同じ工房だと分かったのもこんなことをしたお陰であった。

開港記念会館のステンドグラス

開港記念会館のステンドグラス


現在は、横浜もコロナ禍で感染者が止まない状況。今年の7月に、上映会にいらしてくださった元顧問の先生のお一人が93歳でご逝去された。上映会がきっかけとなり、その後も何度かお目にかかることができた。今頃は猛暑ともコロナとも無縁の天空のお散歩を、心穏やかに楽しんでいらっしゃるだろう。

8月にはハイキング部の同期の友人と中央アルプスの木曽駒ヶ岳に登り、9月末には同じくハイキング部の同期の別の友人と福島の裏磐梯五色沼に散策に行く。このような状況下でも、友人達とつながってオンライン、オフラインで会えるのはありがたいと思っている。退職して9年、同年代の友人達が退職するようになってきた。仲間が増えてくると、お互いにまた刺激し合う相乗効果がでてくると思う。やり残したことがあると後悔しないよう、苦労して作成した文化祭のスライド動画は、時々見返しては心を浄化し、あの頃のようなまっさらな気持ちに戻れたらいいなと思っている。

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