~もう一度行きたい~ ガンビアのMAMA AFRICA

MAMA AFRICAゲスト・ハウスのバルコニー

MAMA AFRICAゲスト・ハウスのバルコニー

コロナ禍で家に閉じこもる日々、自宅勤務が続く中で、これまで訪れた世界各地の風景を思い起こすことがある。開発経済の仕事で数多くの国々を訪ねてきたが、もう一度行きたい国と言ったら・・・西アフリカのガンビア。

ガンビア共和国の首都バンジュール

ガンビアは、全土をセネガルに囲まれ、世界地図の中ではガンビア川に沿った線でしかない狭小国である。ガンビア川が、内陸から金と奴隷を海岸部のヨーロッパ勢力に輸出する主要ルートであったため、17世紀にイギリスが進出、その後フランスと争うものの、1965年の独立までイギリスの植民地であった。そのためフランス語圏が大半を占める西アフリカにおいて英語を公用語としている。奴隷貿易が盛んで、ガンビア出身の黒人奴隷が、1977年に放映されたテレビドラマ「ルーツ」の主人公、クンタ・キンテのモデルであったと言われ、彼の故郷であるジェフレやジェームス島に欧米の観光客が訪れるようになった。以後、ガンビアは、ヨーロッパ諸国から気楽に行ける観光地となり、特に11月から1月にかけて避寒のために訪れる観光客でビーチホテルがにぎ合う。

私が初めてガンビア共和国の首都、バンジュールを訪れたのは2017年4月のことだった。ワシントンDCから直行便でベルギーのブラッセルまで約8時間。次の飛行機を待つこと4時間。ヨーロッパ大陸を南下し、6時間半の飛行後、セネガル共和国のダカールに到着した。アフリカ大陸の西端に位置し、西アフリカの商業の中心地であるダカールで多くの乗客が降りた後、機内は閑散とした。残る乗客は機内から出られず、点検や掃除のクルーの要請に応じて座席から立つ度に、睡魔から呼び起こされた。最終目的地寸前でのストップ・オーバーは、歯がゆいほどに時間の流れが遅い。旅の疲れが一挙に体を襲い、頭がボーッとして、何処にいるのかさえ定かでなくなる。ダカールから乗り込む乗客のために開いたままの搭乗口ドアから湿り気の多い熱風が吹き込んできた。熱風は、アフリカ大陸に到着したことを思い起こさせ、眠気を覚まし、まもなく到着する未知の国への緊張感に私を包んでくれた。

ダカールを離陸してから30分ほどでバンジュールに到着。バンジュール空港は思いのほか大きかった。とは言え、送迎バスなどなく、滑走路のわきを数百メートル歩いてターミナルに入った。冷房設備はなく、混み合う人々の熱気と相まって、空港内はうだるように暑かった。迎えのドライバーに導かれて再び屋外に出ると、日暮れ前の太陽の残光が、赤く地平線に広がっていた。市内に入ると日はすっかり落ちていて、車のヘッドライトと信号機だけが外灯のない町の様子を照らし出す。トタン屋根の屋外商店が建ち並ぶ一角では、人々がひしめき合い、砂埃が立ち込め、トロピカル・フルーツや、野菜を頭の上のカゴに乗せて歩く女性たちの色鮮やかなヘア・バンドが目をひいた。

ギャラリーMAMA AFRICA

私が到着した半年前、2016年の暮れの選挙で23年間続いたジャメ大統領が敗れ、独裁政権が崩壊した。ジャメ政権時代は国際関係が悪化し、経済状況が低迷し、ガンビアは200万人の国民の大半が貧困にあえぐ世界最貧国になっていた。長年虐げられていた国民は、大きな期待を持って新政権を支持した。岐路に立つ国家の変革に携わることは、開発経済を仕事とする者にとって喜ばしいチャレンジであり、醍醐味でもある。しかし、予算削減が進む中、出張経費を抑えるため、メールやテレビ会議を駆使して、参加メンバーを最小限にし、直接現地に乗り込むのは私一人という出張が続いた。チームメンバーが一緒であれば、食事を共にし、時折余暇を楽しむこともできるが、一人の出張は、顧客を訪ねる以外ホテルに籠もりがちになり、孤独感に苛まれることがある。幸い、昔同じ部にいた同僚がバンジュールに駐在していたので、時折自宅に招待してくれたり、週末ドライブに連れ出してくれた。

その同僚から、MAMA AFRICAと名付けられたギャラリーのオープニング・セレモニーに誘われた。芸術家であり実業家でもある現地の女性、アイシャ・フォファナさんによって設立され、バンジュールから車で小一時間ばかり走ったタンジと言う漁村の近くにあった。ギャラリーだけでなく、エキゾチックな庭園の中にゲスト・ハウスがあり、会議、イベント用のスペースもある複合施設となっている。ギャラリーにはアイシャさん自身の作品である絵画のほか、アフリカ各地の代表的なマスクや、ジュエリー、木工作品が所狭しと展示されていた。

MAMA AFRICA のギャラリー内

MAMA AFRICA のギャラリー内

祭り事や神秘との繋がりが深いアフリカ芸術は、女性の才能を受け入れず、男性のみが担うものと信じる傾向が今もなお根強く残っている。アイシャさんも、幼い頃からアートに魅了されていたものの、ガンビアでの道は閉ざされていた。男尊女卑の社会から飛び出し、ドイツでアートの才能を開花させた。ヨーロッパ各地の国際アート・エグジビションに数多く出展し、アーティストとしての階段を着実に登り始めていた。にもかかわらず、8年間のドイツ生活を後に、アイシャさんは母国、ガンビアの発展のために帰国したのだった。

2008年、最初のMAMA AFRICAが誕生した。ギャラリーのみならず、ガンビアの芸術家養成、職業機会を促進するNPOとして国内外から注目された。2011年には米国の国務省が主催したアフリカ女性起業家プログラムに選ばれた43名の一人として、オバマ大統領の招待のもと、ホワイトハウスを訪れた。こういった注目が仇となり、突然、ジャメ大統領(当時)がギャラリー撤去の命を下した。4台の大型車がギャラリーを打ち壊わし、アイシャさんに立ち退きを強要した。けれどアイシャさんは弾圧に屈せず、タンジに新たな土地を購入し、3年の月日をかけてギャラリー再建築を果たした。そしてジャメ大統領の国外逃亡後の2018年、オープニングにこぎつけたのだった。

アイシャさんの描く絵のモチーフは、背の高い黒人女性が多い。黒い曲線で躍動感溢れるアフリカ女性特有の肢体が描かれ、鮮やかな色とのコントラスで、厳しい環境の中でも、力強く伸びやかに生きるアフリカの女性達が表現されている。

MAMA AFRICAのギャラリーに展示されたアイシャさんの作品

MAMA AFRICAのギャラリーに展示されたアイシャさんの作品

アフリカの美術は美の巨匠、ピカソ、マチス、モディリアーニに深く影響を与えた。規範に厳格に従い、自然主義的な再現を重視する西洋美術に対し、アフリカ美術は革新と創造を促す。ゆえにキュビズム運動への原動力となった。アイシャさんの作品も対象や概念を描写するよりも表象するアフリカ美術の伝統を継承している。オープニングの人混みの中で、残念なことに作品をじっくりと鑑賞することができなかった。その後の出張でもタンジまで足を運ぶ機会はなく、担当案件が終了した今、仕事でガンビアを訪ねることはもうないであろう。しかし、ガンビアの発展を願いつつ、いつの日かMAMA AFRICAのゲスト・ハウスに宿泊し、アフリカの美術品、なかでも女性が生きるための願いをこめた魂の造形を味わいたいと思っている。

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