NYのBlack Lives Matterと人種差別
NYのBlack Lives Matter
「差別」というひとつの根幹から、Black Lives Matter (BLM)は枝分かれして野生化、群生してしまった印象を持っている。この春から夏にかけての動きは、うねりのように全米に広がった。ワシントンDCに続き全米にできたBLMのストリート・ミューラルは、マンハッタンでは五番街と57丁目角のトランプタワーの真ん前で哄笑を誘っている。市長自らが黄色のペンキを塗るプロジェクトに参加する姿はニュースの見出しを飾っていた。何度か反対者による黒ペンキでの塗り潰し行為があったようで、今は警察の監視付きになっている。春頃には、数百台の自転車による白人主体のグループのBLM支持イベントが、我がアパート前の通りを通過。交差点では参加者が安全に渡れるように担当者が交通を停滞させない程度に車を止めるなど、見事にオーガナイズされた行動で、全員マスク着用のうえ、乱れることなくハイウェイに向かっていた。
各種のデモ活動には日々事欠かないマンハッタンでは、市民も警察もデモ慣れしているので、任意に拍手したり、激励したり、途中から参加したりと住民参加型でもある。若い層、特に白人やアジア系などあらゆる人種が一体となった抗議行動や、テニスの大坂なおみ選手の全米オープンでの被害者の名前が入った7枚のマスク着用は、心強い気持ちにさせられた。が、警官による黒人被害の事件がこれでもかという程発生し、抗議側と警備側の衝突が激化する一方の今、BLM運動の立ち位置や方向を掴みかね、正直なところ、自分の中では消化しきれないでいる。発生した事件は「氷山の一角」であろうという点のみは確信しているが。
その根底に存在する差別だが、これこそ世界ほぼ共通のグローバル性をもっている。差別とは「偏見により、自分と異なる民族、人種、宗教、社会的地位や階級、肌の色などによる区別、優先、排除など」と辞書にあるが、特に人種差別については、母国以外に暮らす誰しも経験があるに違いない。
個人的な人種差別体験
アメリカでの個人経験で例を挙げれば、姉が1975年にニューオリンズで暮らし始めた際、白人男性に「おまえたちは税金の無駄使い!」と言われ、つばを吐かれたエピソードを思い出す。ベトナム戦争の終結当時、テキサスなど南部に多くのベトナム人が難民として移住しており、それと間違われたようだ。アジア人が皆、同じに見えてしまうという点で誤解は大きい。
私がマンハッタンに住みだした30年ほど前は、「ウサギ小屋に住んでも経済大国」となった日本の経済力が背景にあったためか、表立った差別は感じなかった。一度、通りを歩いていて、すれ違いざまに、中年の白人男性からアジア系言語の単語で呼ばれたくらいだった。知らない言語だが、卑猥な意味がありそうなのはニュアンスで分かった。それ以外には、人種のるつぼと呼ばれるマンハッタンでの私の差別経験で際立ったものは特にないが、一方、南部に住む姉のインターレーシャルな娘、息子は初等教育の学校が始まると、必ず “YOU DON’T BELONG TO US”と言われる経験をしている。
一概には言えないが、北東部と保守の強い南部の差を感じたものだ。私自身の南部での経験と言えば、10年少し前に、サウスカロライナ州の古都チャールストンに暮らした際のことを思い出す。ちょっと気軽に会話が出来る知り合いになった人たちは、決まって北東部州からの引退者や中西部出身者だった。ウィリアムズやスミスなどの姓に代表される生粋のチャールストニアンではなく、黒人の同僚たちと友人付き合いをしていた主人(フロリダ出身で、カリフォルニアやシカゴ育ち)は、皮肉にもヤンキー(北部者)とみなされ、白人間でも彼らと同等扱いされなかった。そして当時、アジア系料理と言えば中華料理程度で(他国料理はほぼ皆無だった)、だからアジア人と言えば中国人従業員しか見たことがないような土地の人たちの中で、アジア人たる私の存在だけでも十分だったろうが、事もあろうに夫は「ヤンキー」で、夫婦で浮いてしまっていたことを思い出す。
たまに公の場で土地の人と会話する機会があっても、会話はあたかも私が存在しないかのように、私の頭上を通り超えて交わされていた。マンハッタンでの社交スタイルに慣れていた私には、自分を表現する機会が与えられないことに疑問と苛立ちを感じたものだ。私たちの引っ越し当日のトラックを見て住宅街内の3軒先の家から出てきた老婦人は、私に「残念だわ。寂しくなるわ」と言ってくれたのだが、それまで家の窓から覗いていただけであったろう彼女に一度も通りで会ったことはなく、ゆえに初対面だったのでそれを聞いて仰天した 。これが人種差別なのか、かの地流の社交形式なのか、全くの偽善なのか、いまだに解せないでいる。
差別意識
しかし、どんな人間であれ、差別意識や感情をまったく持っていないということも、あり得ないだろう。白対黒以外に黄色や茶色も存在する肌の色からの単純な差別構図だけではない。マンハッタンのイースト・ハーレムに住んでいた時には、カリブ海系の人たちの間でも互いに差別があることを学んだ。プエルトリカンは、生まれながらに米市民権があるため、 優越感を持ち、キューバ人は難民として政治亡命扱いで移民するにあたり優先された背景が あり、同じスペイン語圏内から来ているのだが、ドミニカンを見下す意識があるというのだ。アメリカ東部には遅れてやってきたメキシカンは飲食業や左官・建設業など肉体労働に従事しているが、一番割を食っている感がある。
宗教や民族が入るとさらに混迷を極めるが、翻って、他のアジア諸国を蔑視する傾向にある日本の体制や日本人に存在する隠れ、あるいは露骨なアジア人差別も心当たりがあるし、文化の違いに根ざすものもある。「○○さんは、○○人だから仕事が大雑把なんだよね」とか、「○○出身だから時間にルーズ」とか、心当たりは無いだろうかーー。公言しないだけで、実は自分でも気付かず無意識で、意識の根底に潜んでいるものがあるのではと考えると、あらゆる差別には境界線がないように思えてしまう。死に至ったり、人権を侵す差別は論外として、自分自身の中に差別意識に繋がりそうな偏見や、誤った固定観念が無いか、洗い出してみるのに良い機会だと捉えようと思っている。
マンハッタン在住歴、日米での会社勤務歴30数年。目前に控えたリタイア後にしたいことのリスト更新を日課にしている。