インカトレイル挑戦の旅

インカトレイル挑戦の旅

インカトレイル挑戦の旅

2019年は年が明けるやいなや、私は異様な緊張状態にあった。年明け早々、念願のペルー、インカトレイル参加の申し込みを完了したからである。8泊9日の旅、そのうち4泊5日はテントで寝泊まりするアンデス山中でのトレッキング、自分にやり通せるのか、という思いが、知らず知らずのうちに心身の緊張を生む。Youtube を見たり、人から経験談を聞いたりするにつけ、標高4000メートルを超える山でのトレッキングは、還暦を過ぎたこの身には耐えられるだろうかと、今さらながら厳しく自問せざるをえなかったのである。

年齢に加え、私は2017年に両脚の股関節置き換え手術を行っている。手術後まだ2年、手術前1~2年は両脚の股関節の痛みでほとんど運動もできず、筋肉まるでなし状態だったのである。先天的な変形性股関節症のため、両脚の股関節に常に痛みがあり、医者からも山登りなどの脚に負担のかかることはやらないように、と若い頃から言われ続けてきた。そんな私にとって、長い山道をテントで寝泊まりしながら歩き回るなどは夢のまた夢、誰か他人の人生かと感じてしまうほどの出来事なのである。そんな荒行にチャレンジしようと申し込みを完了した途端、まるで半年後にオリンピックを控えた選手のように、全身に緊張が駆け抜けていった。

インカ帝国の古代都市クスコ

それから約半年後の6月、私たちはペルー、クスコの街に降り立った。標高3350メートルのインカの古代都市クスコは、高山病対策の薬を飲んでいても、飛行機を降りた途端に体調が変わる。連れの友人と夫は、空港で頭痛を訴え始める。陽気な夫でさえ無口になる。トレッキング前に標高に慣れるため、クスコには3泊するよう予定が組まれているのだが、到着するやいなやその意味の重要性に気づかされる。

トレッキングのことで頭がいっぱいで、なんの期待もしていなかったクスコの街は、予想以上に素晴らしかった。古代インカ帝国の都市クスコ、優れた文明の証や文化遺跡が至る所に残されている。ペルーは観光に力を入れており、しゃれた新しいレストランもふんだんにあるものの、街の作りや石畳・石垣などからは、古代インカ帝国の卓越した技術や文化がそのまま伝わってくる。またどこからともなく流れてくるアンデスの楽器ケーナの調べが、古代インカへの郷愁をかき立たせる。さらにクスコはちょうど大きなお祭りの最中、様々な民族衣装を来た人々が地方の村々から集い、一日中パレードや踊りで、街は祭りの高揚感に包まれていた。

街の広場。各地から繰り出される山車

街の広場。各地から繰り出される山車

気分の高揚に一役買っていたのは、お祭りだけではない。コカインの原料となるCoca という葉がホテルやレストランで常備され、そのお茶を一日中飲み続けるよう勧められる。Cocaは標高の高いアンデス地方では、疲れや高山病を防いでくれる重要なエネルギー剤なのである。

民族衣装を着た人たちとアルパカ

民族衣装を着た人たちとアルパカ

アクシデント発生!

トレッキングを明後日に控え、私たちはクスコ観光を楽しんでいた。
ところが!なんと! アクシデント発生!
私は、レストラン入り口の数段の階段に気づかず、「あらよっ!」という間に階段を踏み外し、思いっきり足をくじいてしまったのである! 段差の多いクスコの街とはいえ、泣くにも泣けない大失態、右足はあれよ、あれよ、という間に腫れあがり、痛みをこらえながら、やっとの思いでホテルへたどり着く。ホテルに往診にきてくれた医者は、各種の飲み薬と塗り薬を処方し、懇願するような私の目つきを見つめながら、「あさって出発ならトレッキングは大丈夫でしょう」と、言い残し去っていった。 

出発当日の朝、私の足はまだバンバンに腫れていた。しかしこれが摩訶不思議、火事場のバカ力か、Cocaの威力か、はたまた奇跡か、トレッキングシューズに足を滑り込ませた私は、足の痛みを感じず、これから立ち向かう山道を思い、心は興奮状態にあった。人間の心と体というのはつくづく不思議なものである。 

インカトレイルツアー概要

私たちの選んだツアー会社は、数あるインカトレイルのパッケージツアー会社の中でも、最も古いツアーであり、独自のルートやキャンプ地も確保していた。ほかのトレッキンググループとルートやキャンプ地が重なることがほとんどなく、道中はすこぶる快適であった。ツアーの参加者は、カナダから親子が3人、メリーランド州ベセスダから親子4人、DCから友人2人組、そしてバージニア州から私たち3人、の合計12人である。偶然とはいえ、4組中3組がワシントンDC、メリーランド、バージニアというご近所からの参加というのは驚きであった。

12人の我々に同行するガイド、ポーター、食事係、テント係やトイレ係などは20名程度。同行の現地のスタッフは、私たちが出発したあとに片付け、遅々たる歩みの私たちを後目に、大きな荷物を担いでアンデスの急勾配を足軽のようにすいすいと走り去っていく。私たちが到着するころには、テントや簡易トイレ、料理の準備は万全に出来上がっている、という具合である。

参加者の食事、トイレ、テントのサポートをするスタッフたち

参加者の食事、トイレ、テントのサポートをするスタッフたち

テントで食事作り

テントで食事作り

ツアー中の食事の例。極めて美味なペルー料理

ツアー中の食事の例。極めて美味なペルー料理

インカトレイルは、インカ帝国のいにしえに作られた石段のトレイルが、延々と続いている山道である。富士山より高い4227メートルの高さまで登る。一日の歩行距離は10~15キロ程度なので、それほどの長距離ではないように感じるが、標高が高いことと勾配があることから、平地とは全く条件が違う。上り勾配の時に上を見上げると「天国への階段?」と思わずつぶやきたくなるほどの石段が空まで続いている。延々と続く下り勾配の時には普段使わない背中の筋肉が張ってきて、次第に痛みとなっていく。

空気は薄いがすがすがしい標高4215メートル地点

空気は薄いがすがすがしい標高4215メートル地点

天まで続くかと感じられる石の階段

天まで続くかと感じられる石の階段

延々と続く下り階段

延々と続く下り階段

空気が薄いため、5分も歩くと息が切れる。幸いなことに私は高山病の症状が出なかったため、ガイドのすぐあとを遅れずについて歩くことができた。高山病の症状は、年齢や性別に関係なく出てきてしまう。参加者のひとり、健康そうな18歳の女子は、高山病の症状がひどく、荷物はすべてガイドに預け、3歩進んでは休み、5歩進んでは座り込み、とやっとの思いで進んでいた。一日目が終わる時には、下山すべきかの大きな決断が必要なほどであった。結局彼女は最後まで歩きぬいたが、トレッキング中は痛々しい形相で、声をかけるのもはばかられるほどであった。トレッキング終了日、そんな彼女が見せた笑顔は驚くほど輝いていた。

焼き付ける強い日差しの中を歩き、凍結する夜に泥のように眠り、人のいない山奥に残されたいくつものインカ帝国の遺跡をたどり、 Coca の葉を直接口の中でかみしめながら、インカの山道を一歩一歩進んでいく。一つ一つの難関を超えるたびに目の前に広がる景色の何と素晴らしかったことか!

山の中の遺跡

山の中の遺跡

山の風景

山の風景

ガイドの” Break!” という一声が天使の声にも聞こえるほど、心臓も脚も疲労していた。夫は膝に問題があることや高山病の症状があることから、ずっと後方から、自分のペースで、ほぼ精神力だけで進んでくる。友人も高山病で頻尿のため夜眠れず、やはり動きは活発ではない。ここだけの話、Cocaの影響か高山病の薬のせいか、頻尿、頻便の症状が顕著に出る。トレッキングの最中は、もよおすたびに草むらに入り込み、野生の動物のようにことを済ませる。草むらでことを済ますなんて、いつ以来?と自問しながらも、大自然と一体化する新鮮な体験に、軽い感動と喜びさえを感じてしまう自分に苦笑する。

キャンプ地

キャンプ地

体が「つらい」と思う瞬間、「休んで楽になりたい」という瞬間、なぜか私の中には、今までの人生で感じてきたすべての量くらいの感謝が湧き上がっていた。こうしてトレッキングができる脚や体力があること、手術を成功させてくれた現代の医学やお医者さん、脚力を回復させてくれたパーソナルトレーナーやサポートしてくれた家族や友人、そして捻挫で腫れあがった足でも歩けること、等々のすべてに感謝の気持ちが湧き上がってくると、不思議なことに、力がたぎり歩みが止まらなかった。「もしかして感謝の生み出すパワーって、実はすごいものじゃないの」、当たり前とも思えるそんなことを、インカの山奥にて人生初めて気づきながら、一歩また一歩と動き続ける。

最終地のマチュピチュに到着した時には、すでにトレッキングのハイライトは終わっている感があり、特に感動はなかった。山奥の荒廃した遺跡たちと比べると、マチュピチュは整然と整備された観光地、という印象が強く、ものすごい数の観光客たちにも少し引いてしまった。日本からの観光客も結構いた。日本ではペルーという国より、マチュピチュのほうが有名なくらい、マチュピチュに人気があることもあとで知った。

マチュピチュを背景にした筆者

マチュピチュを背景にした筆者

次の挑戦に向かって

どの旅もそれぞれの想い出があり、忘れられない体験をするものである。ただし今回の旅と体験は、ポンと観光地に着いて、ガイドブックの要所を見て回ったのとは違う。征服感にも似た何とも言えぬ達成感と至福感があった。数年前まで脚を引きずっていたこの中年女が経験した、あのアンデスの山の景色、凛とした空気の味、やり遂げた晴れ晴れしさ、トレッキングの楽しさ、などは私の今後の人生のエポックメイキングといっても過言ではない。さて、次は何に挑戦しようか。。。



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