世界を見る窓ーものごとの捉え方

イギリスにて、近くの森へハイキング。おなかの赤い鳥、ロビン

イギリスにて、近くの森へハイキング。おなかの赤い鳥、ロビン

カリフォルニアへ

高校2年生の夏より1年間、私はアメリカへの交換留学プログラムに参加した。16歳で人生初の飛行機に乗り、初めて外国での生活を体験した。「高校生になったら留学する!」という夢を叶えるため、それまでは日本国内で一生懸命英語を学び、アメリカ人の先生ともなるべく多く話すようにし、それなりに英語ができると思っていた。しかし実際は、ホストファミリーとはうまくいかない、学校はそんなに安全とは言えない環境で、英語もほとんど理解できず、思い描いていた留学生活とは大きく異なった大変な1年間となった。

大学卒業後―母校にて

日本の大学で教育を学んだ後、6年半程、母校である中学・高校で英語の教員として働いた。海外との交流がさかんな学校で、中学の修学旅行はハワイへ、また高校はコースにより行先は異なるが、全員参加でニュージーランドやイギリスでの語学研修プログラムを行っていた。また、希望者は、オーストラリアのアデレード郊外の学校(中学)、カナダのビクトリア(高校)、アメリカ・カンザス州にある高校への短期留学の機会があった。私が生徒だった時も毎年15人ほどが1年間の交換留学に参加していたが、教員として働いていた時にも長期留学を希望する者が多く、何度となく生徒たちの相談にのっていた。

教員として5年程経過し、国際交流の仕事に関わり、短期留学や修学旅行の引率をする中で、生徒たちの成長を目の当たりにしながら、「私も成長しなくては。このままではいけない」と思い始め、留学への再チャレンジを考えるようになった。

フルブライト語学アシスタント(FLTA)プログラムへの参加

幸運なことに2012年夏から1年間、フルブライト奨学生として採用された。このプログラムには世界各地から年間400人ほどが参加しており、開始前にはUniversity of Pennsylvaniaでのオリエンテーション、プログラム中間地点にはワシントンDCでのコンファレンスが行われた。そこでは、アメリカに居ながら、世界各地から集まった仲間たちと知り合い、交流を深めることができた。

私はミネソタ州にあるUniversity of St. Thomasに派遣され、日本語教育アシスタントとして日本語を教える手伝いをしながら、学部・大学院で開講されているアメリカの歴史や文化、第二言語としての英語教育に関する授業を聴講した。

ミネソタでの1年 言語学の先生とTAの仲間たち

ミネソタでの1年 言語学の先生とTAの仲間たち

University of St. Thomasには同じFLTAプログラムから他にも6人が派遣されていた。彼らは、アイルランド、チュニジア、メキシコ、イタリア、スペイン、フランスから派遣されていた。私は大学寮の中で、イタリア人、スペイン人、フランス人の同僚と一緒に生活していた。アメリカに居ながら、ヨーロッパの空気が流れていた。それまでヨーロッパを訪ねたことがなかったので、彼女らの陽気な性格、そして賑やかさには驚かされっぱなしだった。

University of St. Thomasにて

University of St. Thomasにて

イギリスの大学院を経て再度教師の道へ

アメリカ留学が終わってから一度日本に戻り、2013年の夏からは大学院に進学するために渡英した。大学院ではGlobal Citizenshipをキーワードとして、「地球市民としての意識や考え方を生徒たちに気づいてもらうためにはどのようにアプローチしていったらいいか」について研究した。修士課程のコースでは、イギリス人の学生やアフリカからの学生たちと一緒にSustainabilityについて学び、様々なことを共有することができた。大学院を修了して日本に帰国した後、群馬の公立学校で数か月、東京の私立学校で2年働き、現在は、イギリスにある日本人学校で教師として働いている。

イギリスにて、ロックダウン中のお散歩。ひっそりと森に咲くブルーベル

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外国生活の中で

群馬の母校を退職後、海外生活をスタートしてトータルで7年程が経過しようとしている。

様々な場所で世界中の多くの人たちとの出会いがあり、教育やものごとについての見方・考え方も少しずつ変わり、広がってきたように思う。

母校で働いていた時には、学校の教育理念がわかっていたため、自分が生徒時代に経験していたことと、教師としてやらなくてはいけないことが重なる部分も多く、あまり疑問を持たずに仕事を進めることができていたように思う。駆け出しの教師であったため学ばなくてはいけないこと、吸収すべきことも多かった。私自身の教師としての土台はここで形成されたと思う。

しかし、海外に出て、土地や国が変わり、職場が変わるごとに壁にぶつかることが多くなった。それなりに経験を重ねているはずなのに、それまでの考え方ややり方ではうまくいかないのである。それは、自分が知らず知らずのうちに「〇〇であるはずだ」と決めつけて動いてしまっていたからだろうと思う。

私たちが働くそれぞれの場所には、その場所の歴史や考え方がある。また、日々接する人たちのものごとの見方や考え方は、その人が触れてきたもの、歩んできた人生、国籍や文化によりそれぞれだ。フルブライトプログラムに参加していた時、アメリカ生活にはすぐに慣れることができた。けれど、ヨーロッパ育ちの賑やかなルームメイトと毎日一緒に過ごすことが大変だった。今、自分がヨーロッパで生活するようになり、休暇でイタリアやスペインやフランスを訪れ、やっと実感として彼女たちのことが理解できるようになった。そして今も彼女たちとは連絡を取っているので、時々会える環境に感謝しつつ、今ならお互いに理解しあうことができる。

勤務校が変わることにより、学校と自分の考え方がぶつかることも多かった。今まで母校以外にも3校で働いてきたが、学校により、建学の精神や教育理念が異なっている。その学校が何を大切にしているのか、どういう生徒を育てたいのか、そこを理解していないと、いくら経験があっても戦力となって働くことは難しい。最近は、どこに行ってもその場では新人だと思い、謙虚に対応することを目標にしている。そして、生徒に接するときには、「自分で考え、選択できる力」を身に着けてくれることを念頭において指導に当たっている。そのためには生徒自身が身をもって様々なことを経験していくことが大切だと思っている。

現在の学校に勤務して4年目になるが、この海外転々生活を通して、日本にいた時よりも自分自身のものごとの見方が柔軟になったと思う。アメリカだけではなく、ヨーロッパに拠点をおいて生活することにより、視野がさらに広がった。私たちは自分が経験したことを基準にものごとをとらえている。世界に出ていくとき、自分自身の考え方、ものごとの見方の基準があることは大切であるが、それが強すぎると折角の学びの機会を失ってしまう。決めつけないでものごとを捉えることで見えてくる新しい世界があるはずだ。

つい最近、高校時代に留学していたカリフォルニアの学校の先生からメールが届いた。それは留学が終わる時に先生にプレゼントしたコケシの写真だった。私自身すっかり忘れていたことだったが、「今でも棚に飾ってある」とのこと。Facebookでは繋がっていたが、連絡を取ったのは初めてで、「萌のこと、覚えているよ。一生懸命頑張っていたからね」と言ってくれた。20年以上たった今でも気にかけていてくれる人が遠い地にいることが嬉しい。私がうまくいかなかったと思っていた初めてのアメリカ留学の日々を、温かい一コマとして捉え直すことができた。

視点を変えれば、見え方が変わる。視野が広がれば、見えてくる景色も違ってくる。場所が違えば常識とされることも変わる。国が違えばなおさらのことだ。世界を見る窓をさらに大きくするため、これからも様々なとらえ方を取り入れながら、ヨーロッパでの生活を楽しみたいと思う。

イギリスの大学院の卒業式。Hoe Park (Plymouth)にて

イギリスの大学院の卒業式。Hoe Park (Plymouth)にて

 

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