イスタンブール、15年がかりの邂逅

オルハン・パムク が微笑みを浮かべて佇む博物館の絵葉書は、海を渡ってDCと東京に

オルハン・パムク が微笑みを浮かべて佇む博物館の絵葉書は、海を渡ってDCと東京に

その作家、オルハン・パムクに会ったのは2004年の秋のことだった。彼の講演会を東京赤坂の申し訳ない位に無機質な私たちのホールで実施することになったので、担当部長だった私が、ランチでもご一緒に、ということになったわけである。

パムクはイスタンブール出身のトルコ人。出版界に席を置いていたとは言え、私にとってはとんとご縁のない地域と文化出身の作家である。乏しい知識と頼りない自分の英語力とで、ランチの席は気まずい沈黙に陥らないだろうか、と思案していた。しかも、欧米ではすでにいくつかの文学賞をとった評判の高い作品 『My Name is Red (わたしの名は紅) 』 の日本語版が出版された記念講演というのに、私は彼の著作を一冊も読まぬまま、その席に臨んだのである。結果は、ゲストであるパムクの洗練された礼儀正しさによって全てが救われたのであった。

そして講演会は、多くの地域研究者や専門家が集まり開催された。『 わたしの名は紅 』に描かれたオスマン帝国時代のイスタンブール。東西文明が交錯するなかで暮らす、主人公のイスラーム細密画の画家について、そして作家としてのパムクの世界観についてだった。幼い頃は画家になりたかったというパムクは、米国に留学した3年間以外は、ずっとイスタンブール暮らしだと言う。自分の国トルコの「本物の姿」 「真実」 とは何だろう、という問いかけは、本を読まずに参加した後ろめたさと共に、ずっと私の心のどこかに引っかかっていたままだった。

文化の衝突と交錯を表現する新たな境地

2006年、パムクがノーベル文学賞を受賞した。「生まれ故郷の街に漂う、憂いを帯びた魂を追い求めた末、文化の衝突と交錯を表現するための新たな境地を見いだした」 というのが、受賞理由だという。そのニュースに接した時の私が抱いた感覚を、何と表現したらよいのだろう。まるで遠い昔の失恋の甘くも苦い思い出と共に、忸怩たる思いが蘇ってくるような……。折しも、村上春樹が、フランツ・カフカ賞を受賞したというニュースで、すわノーベル賞も、という期待が日本発のメディア報道に滲んでいた当時である。

そしてその年末に、私はワシントンDCに赴任することになった。初めて外国に駐在した私は、自分の国の本当の姿とは何なのか、ということに日々取り組む毎日となったのだ。自分が当然のことのように思っていた祖国の姿、それをアメリカ人に理解してもらう際に感じる、「さて、私は本物の姿を伝えているのか」 という問いが、いつもそこにあった。東京で行われた2年前の講演会でパムクが言っていたように、「私は何者なのか」 という大きな命題に、それはつながっているようでもあった。

The Museum of Innocence に取り憑かれるように

2010年、パムクが長年アイディアを貯めてきた新しい小説の英語版が出版されたと新聞で読んだ。今度こそは、日本語訳を待たずとも読もう、そう思い立った私が、初めて手にしたキンドルで購入したのが、The Museum of Innocence (邦題 『無垢の博物館』) だった。冒頭からすっかり魅せられてしまった。1970年代のイスタンブールで、裕福な家庭に暮らす主人公は美しい婚約者を捨て、年下の遠戚の女の子に夢中になり、その後の一生をただただこの愛のために捧げることばかりを考えている、しかし現実は…..、というメランコリーな内容。

しかしこの本には、街の様子が、そして人々の生活が随所に描かれている。ボスポラス海峡を望むドライブ、雛豆のスープやピスタチオ入りのバクラヴァを食べるシーン、家族でテレビを囲む様子、そしてアパルトマンのなかで使われる数々の小物たち……。街の近代化の様子までもが、東京オリンピック後の近代化の様子を目にしながら育った東京っ子の私にも親近感が湧き、なぜか郷愁をそそられるのである。

これ以上、本の中身に言及するのは、これから読もうとされる読者のためにやめておこう。話をはしょると、主人公が愛着をもっている夥しい数のモノたちがコレクションとなってできた博物館が建てられるという筋書きなのだが、イスタンブールの山の手の住宅街にそれは実存するのだということを、読了後の私はすぐには理解できていなかった。あくまでもお話のなかの、フィクションだと思っていたのだ。

ところが、その後の英国の新聞記事で、パムクは本当にノーベル賞の賞金を費やして博物館を建てたのだと知った。当時、ワシントンの同じアパートに住んでいた、大学で美術史を教えていた友人Aと、競い合うようにこの本を読んでいた私は、いつかイスタンブールに行ったら、そこから絵葉書でも送るわ、と彼女に宣言したのだった。

そして、イスタンブール探訪へ

現在は「イスラームの宗教的施設」となったアヤソフィアも、訪問した2019年にはまだ「博物館」だった

現在は「イスラームの宗教的施設」となったアヤソフィアも、訪問した2019年にはまだ「博物館」だった

2019年6月、私はようやくイスタンブールを訪ねることとなった。パムクの来日でトルコに興味を持ってから15年、成人した娘二人との旅である。トルコに勤務する友人から、到着前日はイスタンブール市長選挙で与党敗北、街は荒んでいるかもしれないから、女性だけの旅、気をつけてとの忠告があった。しかし、そんな心配も、翌日には、青い空のなかに吸い込まれるように霧散してしまっていた。

私たちはトプカピ宮殿やブルーモスクのある旧市街から、ガラタ橋を渡って新市街に入ってすぐのカラキュイという味のある下町、古い銀行を改装した天井の高い客室に宿をとり、徒歩とトラムを乗り継いで、イスタンブール散策を楽しんだ。

アヤソフィア。建物が歩んだ歴史どおりに、イエス様を抱くマリア像とムハマンドとアッラーの文字盤が同じ空間にあった

アヤソフィア。建物が歩んだ歴史どおりに、イエス様を抱くマリア像とムハマンドとアッラーの文字盤が同じ空間にあった

坂道の上から遠くに見渡せる海峡、そして日に何度か町中に響き渡るアザーンの声。欧州の雰囲気がすると思えば、オリエントの顔がちらりとのぞく、まさに文化の交錯。それは人々の顔つきや表情、服装までそうだ。近代化の足跡は公共交通機関にも、建築物にもあちらこちらに認めることができる。そして色彩豊かなイスラーム細密画に、同じくカラフルな食事と雑貨たち。それらのどれにも、期待は裏切られることはなかった。想定外だったのは、トラムの駅舎、地下構造になった雑居ビルの店舗で、拳銃やマシンガンまでもが並べられて堂々と売られていたことだろうか。

イスタンブールの下町

イスタンブールの下町

イスタンブールは、東京のように、下町と山の手というのが、面白いように肌感覚で明らかな街である。欧州の雰囲気に近い、お洒落な地区ニシャンタシュやベイオール、ここは、パムクの本に頻繁に出てくる場所だ。持参したガイドブックに載っていない 「無垢の博物館」 を、ウェブサイトをもとに訪ねてみた。

新市街の山の手。坂の上からはボスポラス海峡に続く海が見える

新市街の山の手。坂の上からはボスポラス海峡に続く海が見える

本当にあるのかと訝しがる娘たちを促しながら歩き続けると、その特徴的なえんじ色の博物館は住宅街のなかに急に目の前に現れた。本を持参ならば(キンドルでも)、博物館の入場券が印刷されており、入場が無料だったことに気がついたのも、時すでに遅し。

博物館のなかは、あちこちに本が置いてあって、この頁のどこそこの記述にあるとおりに、という展示の仕方。筋書きにそって深まるパラノイア的メランコリーさが、1970年代から現在までの時間軸のなかで出現してくる博物館。本に描かれためくるめく想いを追体験できる博物館で、私のイスタンブール訪問の本懐が遂げられたのだ。

Museum of Innocence「無垢の博物館」館内は、物語を追体験できる仕組みになっている

Museum of Innocence「無垢の博物館」館内は、物語を追体験できる仕組みになっている

そして私は、パムク自身が博物館のなかで微笑みながら佇む姿を写す絵葉書を、ワシントンDCの友人Aに送ったのだった。Guess where I am now? と一言添えて。


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